元祖【ひとり公論】

誰かには必ず、ほんの少しだけでも役に立つに違いない、という意味での公論

日常と連続する夢

本来の日記部分

コドモの入学式で感無量。。となるはずが、なんというか、親のほうも「わくわく感」があり。。
それと、もろもろドタバタがあってそれどころではないという側面もありつつ。。
コドモはこれから「人間関係」という荒波にもまれてゆくことになるのだなあ、と思うと、ただただ「ガンバってほしい」と思うばかりです。
社会には必ず存在する「悪玉」には染まってほしくないなあ、と。

(番外編)
仕事が忙しいときは夢が直接的になってきますね。そのものズバリで職場の夢とか、まァ失敗ですよね。大勢が聞いてるプレゼンで失敗するとか、とんでもないチョンボをして自殺したくなるとか。。

結局それは単なる仕事の続きなのですね。

仕事がヒマな時期になると、もっとなんというか、「示唆的」な夢をみるような気がしますね。

日常と連続性のある夢も、悪くはないと思うのですが、どうなんでしょう。そういうことはもっと考えてゆきたいです。

my格言・my座右の銘(自作自演)

  • 反面教師:「感性」の押し売り(20080406)

再録

社会生活をいとまなければならないのに、社会生活に適合できる人間を育てなければならないのに、なぜ、昨今の「教育」では「内発的な衝動や感覚」を持ち上げるのかよくわからないんですよね。

それが、自分の中にある「絵を描けるから何」という考え方につながっているのです。絵をかけたところで社会生活を営むための訓練ができていなければ仕方なかろう、という。絵でもなんでもいいのですが、得意分野の能力だけで一点突破してゆけるほど世の中は甘くないんですよ。それができるのはきわめて稀な、才能がありかつ選ばれたヒトだけなんですよ。と、いったようなことはこの日記で(それとSNSでも)何度も何度も何度も書いてますねえ。。