元祖【ひとり公論】

誰かには必ず、ほんの少しだけでも役に立つに違いない、という意味での公論

非行少年の消滅―個性神話と少年犯罪

本来の日記部分

Totoで1万円当たりました!(夢)

今、キャリーオーバが出ている「祭り状態」なので、継続的に買っています。。(これは、現実世界のハナシ)

my格言・my座右の銘(自作自演)

  • 家族を最下層に放りだしてしまうかもしれない、という恐怖心が、自分を労働に駆り立てるわけで、働くモチベーションというのは結局それしかない。(20071005)

再録

自分がデフォルトで「他人とはちょっと違う何者か」である可能性はゼロなのです。あなたが、スポットライトが当たる場にいないという時点で。

他人とはちょっと違う何者か「である」、ではなくて「たりうる」可能性が、極めて低いけれどもゼロではない、ということなのです。

それを、誰もがそうなれる(可能性がある)とアオる教育なりマスコミなどの存在があります。

可能性は、ありますよ、確かに。でもそうなるには、尋常でない努力が必要なんです。ありきたりな努力ではなれないんですよ。

このアオりと、「1日十分●●するだけで痩せれます」みたいなキャッチとは、同じような気がするんですよね。

儲けのためのアオりならまだわかるのですが、教育の現場においては、なぜゆえにこのようなアオりをいれるのか、よくわからないのです。果たして、子供を何に仕立て上げたいのか。あるいはそのようなビジョンすら持っていないのか。

あれほど個性、ゆとりを重視していたにも関わらず、速攻でゆり戻しがきていることから考えても、「ビジョン」というものはそもそも存在していなかったのでしょう。

仮に、「他人とはちょっと違う何者か」になれるのだとしたら、それは、集団の横にそれただけで、上に上がったわけじゃないんですよ。

似たようなことはさんざん書き散らしているような気がします。この話は自分のツボなので。。