元祖【ひとり公論】

誰かには必ず、ほんの少しだけでも役に立つに違いない、という意味での公論

「若いころ、勉強しとけばよかった」

ミチクサ(散歩、都市論etc)

  • 「若いころ、勉強しとけばよかった」

これほどまでにオトナたちが、「若いころ、勉強しとけばよかった」と思っているのだから、もっともっとコドモたちは、勉強を強制されてしかるべきだと思うのです。
オトナになって後悔なきよう、親世代、先生が、強制してよい。

ただし、それは、コドモ自身がその時点でやりたいことをやらなければならないのです。
ものすごく時間を割いて、深く、後悔なきようやるということ。

いわゆる「勉強」は、現在の教育制度では、イヤでもやるのです。でも、個々人が自分が「これが好き!」という科目、分野を主体的に選んでそれに邁進する、そして周りがサポートする、という体制も、時間もない。

ところで、その「分野」は、体育じゃダメなんです。
なぜなら、オトナになって、「もっと体育やっときゃよかった」と後悔しているヒトはほとんどいないからです。


すごくシンプルに、今のオトナに全国的にアンケートをとって、「タイムマシンにムカシに戻れるなら何をみっちり勉強するか?」の統計をとって、それを現行教育制度で強化すればいいのではないでしょうか。

でも、「英語」とかいいそうだなあ。。典型的すぎますねえ。
英語をみっちりやったからといって国際人になれるわけでもないのに。。

コドモの頃、自分は何が好きなのか? をホンキで自己洞察するクセはつけておくべきでしょうね。

再録

(略)思うのは、「事務方」(小物)でなければ大物である(あるいは「大物予備軍」である)、という理屈が成り立つはずがない、ということです。

これを勘違いしている人たちは多いような気がします。

自分の器を見積もれない、「事務方」にすらなれない小物の方はたくさんいます。

その思いが、今まで「横文字職業に対する嫌悪感」につながっていったのですね。