元祖【ひとり公論】

誰かには必ず、ほんの少しだけでも役に立つに違いない、という意味での公論

議員を気にしないで

my格言・my座右の銘(自作自演)

  • 「サラリーマン」と「ビジネスマン」の違い。(20080119)

こうありたいまたは反面教師

  • 自分がそうなったら

庶民は国会議員に対してキビしく批判しますが、庶民が国会議員になったら、同じようなことをやりますよね。それは100%間違いない。
「先生」とよばれ、イエスマンばかりが集まり、まとまった金を右から左へ動かせるようになったら。。

それでも自分は滅私できる、と断言できる庶民がいますか?
いるのだとしても、「なったことがないから」のひとことで片付けられてしまう。

逆に国会議員から庶民は心底バカにされているのです。なぜなら、国会議員にとって庶民は、心の底から「なりたくない人種」だからです。

そして、「クヤシかったらここまでこいよ」といわれています。

庶民と国会議員の決定的な違い、それは、国会議員は国会議員に「なれた」。庶民は「なれない」。(庶民でいつづける限り)

この差は、決定的です。目標に対する努力量が圧倒的に違うのです。

それに対しさあどうするか、というと、このご時世では、選挙に欠かさず行くこと、というのはもちろんなのですが、「完全無視」もアリでしょう。
気にするからいけないのです。国会議員も我々の仕事も、同じく仕事は仕事、ぐらいのキモチで。(ホントは、違いますが)

逆に、国会議員がこっちを気にするぐらいのインテリジェンスあふれる「新庶民」にならなければならない。
それは、カレらが気にしている、票田としての「無党派層」とはまったく違います。


たとえば、国会議員がちょっとはたらきかければ免停がもみ消しになったりするという事実に対して(つまりこれこそが「権力」です)、これっぽっちも「うらやましい」と思わないこと。それをココロの底からクダラナいと思い、糾弾できること。
そういうのがリトマス試験紙になってきます。