元祖【ひとり公論】

誰かには必ず、ほんの少しだけでも役に立つに違いない、という意味での公論

テレビとの関係

テレビとの関係

 
テレビをみないということは別に他人に自慢したりはしない。
 
なぜなら、そういうことをいうと、相手がはりあってくるからだ。「オレもほとんどみないよ!」と。
 
そういうヤツほど「こないだ『たまたま』テレビつけたらやってたんだけどさ~」と、テレビの話題を語ることが多いのだ。
 
オイラの「テレビをみない」というのは筋金いりだから、たまたまテレビをつけるという行為もほとんどない。
ゼッタイない、とはいわない。オイラは、深夜に目が覚めてしまってぼけーっとしているときにテレビのザッピングをするのがけっこう好きだ。そして、ひととおりザッピングした後に「あーやっぱりクダラナい番組ばっかりだ」と妙に安心して、また寝る。
 
そこで、どこかの番組に目が止まってしまって食い入るように見てしまうということも、ほぼ、ない。
少なくともここ数年はないな。ムカシ、そんな感じで夜中にテレビをつけたらNHKアーカイブスをやっていてずっと見てしまった記憶はあるが。。
 
 
前にも何かで書いたけど、テレビを拒絶しているわけではなくて、情報の洪水に飲み込まれずにテレビとは良い関係を築いている、ということを言いたいのだ。それが「筋金入り」ということだ。
 
一生懸命生きていれば、テレビをだらーっと見る時間など捻出できるはずがないのだ。
 
テレビが面白くなくなったといわれて久しく、そしてテレビ側もそれをカイゼンするつもりもないのだから、視聴者はゆるやかに見切りをつけてゆくべきなんだよ。
テレビとはもはや依存する価値すらないんだ。