元祖【ひとり公論】

誰かには必ず、ほんの少しだけでも役に立つに違いない、という意味での公論

老後、とかそういうハナシ

人生観、のような、思想の話

  • 老後、とか(【重要】マーク)

人生計画とカネは密接に絡みますね。。

自分が将来、どのようなライフスタイルを模索しているか、そして、どれぐらいのレベルの生活がしたいか、をビシっと決められれば老後に必要な額も決まり、退職金だの年金だのを差っぴいて、必要な貯蓄額も決まり。。

その貯蓄額に到達するまではがむしゃらに働かなければなりませんし、逆にそこに到達したならばあとは元本割れしないように運用して、ガンガン使えると思うのですが。。

そうは問屋がおろさない、にしても、自分が将来、歳をとってからどのぐらいのレベルで生活するのか、というのは決めておかなければならないと思うのです。(「もう若くない」時期にきたら)
そしてそれはつまり、ある時期がきたら物的欲求は最低限セーブしなければならなくなってくる、ということでもあります。

老後の計画というのは、「ヒトは歳をとったらあまりモノをほしがらない」という前提に立っています。
無限に物的欲求を持ち続ける前提なのであれば、計画を立てることすら難しいのですが、最近誰もが無意識的に、自分はずっとモノがほしくなるに違いない、と考えているフシがあるのですね。

それを誰もが恐れているといいますか。自分で自分を律することが、できないのではないか、いくらそれなりの額を用意しても、それを超える額を自分は使ってしまうのではないか、というオカシな恐怖感。

何歳になったからぱっと切り替えて、あれもこれもほしがるのをやめる、などという切り替えはできっこないのですから、どこかで段階的に、物的欲求のレベルを引き下げてゆかなければならない。
それこそが人生計画ではないですか。

逆に、歳をとっても(いや、歳をとったからこそ)ガンガン外車、別荘、都心にセカンドハウス、毎年海外旅行!
という生き方をしたいのであれば、それを前提に(たとえば、月に必要な生活費80万、とか)計画を建てればよいハナシです。

そういう計画を立てるのであれば、まず、生きなければならないのです。アタリマエのことですが。
それどころか、年取っても健康体である必要があります。

という意味で、老後のための貯金のみならず、老後のための「節制」もできますか? と。

そのへんの覚悟がない方が多いような気がしますね。