元祖【ひとり公論】

誰かには必ず、ほんの少しだけでも役に立つに違いない、という意味での公論

禁欲的ではない

禁欲的ではない
私は、ここ数年、禁欲的、とかよくいわれるのです。
でも、禁欲もなにもまず、ムカシから「欲」というものが少ない。
ですが、物的な欲であるとか快楽的な欲求が少ないだけであって、もっと根源的な「よりよく生きたい」という欲求は、すさまじくあります。(近年さらに拡大中)「超貪欲」であるといってよいでしょう。
その一環としての金銭欲ももちろん、人並みにあります。だからこそ、へとへとになりながら働いているわけでして。。
「よりよく生きたい」欲求を満たすためには、物的欲求とは相容れないのではないか、という持論です。
カネというのはどちらの媒介にもなります。つまり、カネを得たときに前者にふれてもいいし後者にふれてもいい。
そして後者(物的欲求)にふれるのが多すぎませんか、というのが私の主張です。
前者が奇異の目で見られるのもおかしい。
人間には、(実は)物的欲求はデフォルトで備わっていないのです。
根本で間違っているのは、人間というのは後者を通過して前者に到達するに違いない、とほとんどのヒトたちが考えているということ。
物的欲求は人間を「よりよく」はしませんよ。
テレビを見続けている人間がちっとも幸せになれないのがその証左です。彼らは完全に宣伝にヤられてしまっています。
ですから私は、僭越ながらそれは早めに気づいていたと思いますので、物的欲求はコントロールしてきました。
そしてそれを世の中は「禁欲的」ととるのかもしれませんね。
でも、自分は欲求に忠実であるという自負はあります。
欲求の向け先も自分でコントロールできないヒトたちよりは。