元祖【ひとり公論】

誰かには必ず、ほんの少しだけでも役に立つに違いない、という意味での公論

心について(3)

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 何回も例として引いていますが、「マッチョな男性/プロポーション抜群の女性」は、なぜその体型/外見を維持するための努力を怠らないかというと(そういう方々が、自分はぜんぜん努力はしていない、というのは100%ウソです)自分の「心」を安定させるためなのですよね。

 他人の評価や賞賛がモチベーションとなり、それにより自尊心が満たされ、心が安定する、と。

 もちろん、ナルシシズムもあります。努力により自分が理想として描く外見に近づいていくわけですから、こうありたいというイメージに自分を近づけていく行為は、自己実現のプロセスそのものです。自己が実現される、あるいはされていく過程で当然、「心」は安定しますよね。



 前回は、その努力の「努力量」を変えずに、別な「心」を安定させる手法を模索し、それを実現させる方向に努力をふり向けてみましょうよ、と書きました。

 男子であればマッチョにならなくとも、女子であればプロポーション抜群でなくとも(しつこいようですがあくまでたとえ、メタファーです)、他人から賞賛を受けることのできる「場」はありますし、ナルシシズムを満たす自分なりのやりかたも必ず見つけられます。

 ただし、本人が別なものを見つけようという意志を強く持つことができれば、という前提ではありますが。



 方向性を変えていかなければならない理由が2つあります。1つ目の理由は、年齢ですね。加齢とともに、我々は自分をどのように見せていくかというスタンスを変えていかなければなりません。否が応にも、外見は変わってゆくわけですから。

 女性は、そして男性の多くも、加齢により外見が変わってゆくことを「衰え」と表現します。それを「間違っている」と断定はいたしませんが、私は悔しいのそのように考えたくありません。我々は加齢によって、ますます輝けるはずなのです。あるいは「味が出る」とでもいいましょうか。

 そういう意味では、上っ面の外見勝負からは今すぐにでも「い~ち抜~けた」しなければならないのです。「若ければ若いほど良い」などという評価基準はこちらから願い下げ(笑)しないと……。



 なお、この話の前提として、自身の外見をどう見せてゆくか、というのは、加齢とともにより一層、「戦略的」かつ「総合的」に考えていかなければならないことだと私は考えております。特に男性(この業界の)は。上っ面ではなく、内面からにじみ出てくる真の外見を、磨かなければなりません。

 なぜなら、歳を重ねるごとに我々が活躍するステージは変わってゆきますので、周りの人たちの人間をみる目も肥えてくるからです。いい歳こいて上っ面だけつくろったところで(言い方は悪いですが)、すぐ見抜かれます。若い頃は、周りも自分も人間的に厚みがないので双方上っ面だけでもよかったのです。

 とはいえ、上っ面だけでもつくろう気持ちがあるのであれば、実はかなりマシなのですが……いわゆる「ずぼら」(最低限の「身だしなみ」すらもアヤしいような)は、特に歳をとってからはかなり損をします。天然でずぼらなのであればけっこう微笑ましいのですが、「男は(あるいは、「エンジニアは」でも可)外見じゃない」というポーズを盾に、逃げ続けている人は正直目もあてられませんし、当然心も安定してゆきません。