元祖【ひとり公論】

誰かには必ず、ほんの少しだけでも役に立つに違いない、という意味での公論

「ハンパ性」(再) 節制がトレンド(再)

本来の日記部分

  • 体調

先日痛飲してから、胃の調子がイマイチのような気が。。

これはもう禁酒する良い機会ですね。。

  • 仕事

とある資料つくりで根詰め中。。睡眠不足。

再録

  • サラリーマンになることによるリスク(20070213)

今の自分は、サラリーマンになることによりリスクが極大化すると思っています。今サラリーマンになることによる大きなリスクは、残念ながら「すぐにやめたくなる」であろうということです。

サラリーマンになるという行為は、そもそも生活の(ひいては「人生」の)リスクを回避する行為に他ならないはずです。ですが現代社会ではサラリーマンになることが以前と比べてリスキーになってきたような気がしています。

ただ、自分はサラリーマンには常になりたいわけです。潜在的に。言い方を変えれば、人生においてリスクをとりたくなかったということです。
若い世代で、「サラリーマンにはなりたくない」とか言ってるヒトたちの「ハンパ性」(造語)には辟易します。自分が若い時代にも、そういう人達はいました。まあ、そういう人達は逆に「ハンパ性」があるがために「無事」サラリーマンになっています。

自分は、真の落ちこぼれだったわけです。サラリーマンになりたいのになれない。性格的な問題で。そもそもその世界に入ることすら叶わなかったのです。

その最初のつまずきから、10年以上かけて立ち直ってきたのです。さらに偏屈になりながら。。
まず、サラリーマンになれなかったことを卑屈に思うことはない、と居直るのに10年かかっています。

サラリーマンにはなれなかったけどサラリーマンが集う会社に「出勤」し、「職場」というものが楽しいという幻想を持っていた時期は確かにありました。その頃はサラリーマンになりたいという願いが今よりも非常に強かったと記憶しています。

以前、どこかに書きましたが、主体的に動ける優秀な人材が集うチームで、仕事のダイナミズムを感じていた時期です。こういう感じが続くのであれば会社というものもいいなあ、と。。

でもそれは一瞬の輝きでしかありませんでした。そもそも外注がそういうチームに配属されることは奇跡に近いのです。

  • あらためて「節制」の時代(20070213)

アメリカナイズも悪くないな、と思うのは。。 かの国では嫌煙運動がものすごく進んでいますし、太ったヒトたちに対する風当たりも強いです。つまり、節制を奨励しているということです。

日本の我々世代も、節制する人たちばかりになってきたら、面白い。

面白いというのはつまり、戦後に勤勉を放棄したがために諸々の成長が見込めなくなってしまったニッポンがV字回復で変わってゆくかもしれない、という希望をもてるということです。


今考えると戦後は一貫して「自堕落」の時代で、節制がトレンドになりつつあるのは初めてのことではないでしょうか。
これも「豊かさ」の証左だとは思いますが。。

今の時代は、前回のバブルとは違って、節制したものだけが生き残れそうなニューバブルの到来を予感しているので、歓迎なのです。
とにかく、面白そうなのです。「ついに自分たちの時代か〜」みたいなワクワク感があります。


ダイエットだの健康食品だの、そういった商品は、人間というのは自堕落である、という前提での商品、ブームでしかありません。
好きなものを食べても痩せられます、健康になれます、というのはそういうことです。節制できる人間にはそもそも必要ありません。

ということでそのような前時代的な商品は駆逐され(ることをのぞみます。。)、新しい時代の消費が生まれてゆきそうです。
節制している人間にだけものすごいドライブをかけるような商品。。
自堕落なヒトたちには何の意味もない商品。

節制できなかった我々庶民(いや、節制はできたはずなのに、戦後の大局の中でマスコミに洗脳され、「節制」ということを忘れてしまったヒトたち)は、これまで、さんざん売り手(企業側)にバカにされ続け、余計なおカネを使わされてきたのです。