相対主義者 ガイコクジン
本来の日記部分
- 体調
風邪? でしょうか、寒暖の差がハゲしいためか、雨がぽつぽつと降る中、大丈夫だろうとカサをささずにミチクサしてしまったためか。。ひいてしまったようです。
体調サイアクです。。
人生観、のような、思想の話
- 相対主義者の決断
相対主義者ばかりだといろいろなことが決まってゆきません。特に、ビジネス・シーンにおいては。
腹が立つこともあります。めいめいが勝手なことをいいますし、まるで拒否権を所有しているがごとくとりあえずなんでもかんでも反対しておこう、というヒトが最近多いですからね。。
ですから、ホントウにカシコいカリスマを待望するわけですね。そういう人間に上に立ってもらって政(まつりごと)をゆだねてしまいたい、という思いは私にもあります。
ところが、野心のある(「上」に立ちたいと願う)人間にはなかなか政を任せるわけにはいかないのですね。アブなくてしょうがないので。。
ですから、「マニフェスト」をチェックする。カリスマ性がなくとも、カシコくなくとも、マニフェストで判断しましょう、と。あまりに我々が望まない方向に舵を切らないような人間を、消去法で選んで政を「させる」わけです。
でも自分は、同世代の人間であれば無条件で信じたいのです。同じ時代に、同じテレビを見、同じお菓子を食べ、同じ音楽を聴いて育ったヒトであれば。
たとえそのヒトの資質に疑問を感じたとしても。
それはもはや「心中」ですよね。
でも、「心中」をしたいと思っているわけでもないので、同世代で「心酔」できるカリスマの登場に期待したいものです。「政」を委ねられるような。。
ところでハナシ戻して。。
相対主義者ばっかでモノゴトがなかなか決まってゆかない、という状況も、チェック機能という点ではそうあらねばならないと思いますし。
全体主義的な「空気」によって、国家ごと勝てるはずもない戦争に突入してしまった戦前の二の轍を踏んではならないのです。
特に自分は、思想的にも立場的にもマイノリティですから、たとえばマスコミの洗脳により世の中がオカシな方向へ舵を取り始めたとしたら、それを初期段階で敏感に感じ取ってNo!を貫き通せる人間であろうとしています。
そういう、キケンなときだけ「空気」をあえて読まない訓練をするにはどうしたらよいものか。。
今後、とあるモノゴトが全会一致で決まってゆかないときに、その原因が私である可能性は十二分に考えられるわけで。。そして、自分以外の「大多数」にはウラミばかり買うことになり。。
それでも主張を貫き通すことが、できるのか。自分は。
でも、自分が独りだけ、何かに反対しようというときはそれは受け売りではなくて自分の根っこからあるオピニオンですからね、「とりあえず反対しとこう派」とは違いますし、それは、わかるヒトにはわかってもらえるでしょう。。(たぶん)
抜粋・紹介
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国単位になると欲望は無限に膨らむが(「大東亜共栄圏」とか)個人の欲望は(いつの時代も)そんなでもない。捨てたもんじゃない、と鶴見氏は言います。
その理屈は何かと似ているなあ、と思ったのは、自分は外国人の知り合いが何人かいるのですが、個人個人はとてもいいヒトたちだということ。ただし、それがそのヒトが属する国家に対するイメージだと変わってくる。つまり、個人と国とは自分の中では完全に切り離されている。
「国」に対するイメージというのは「教育」によって醸成され、それは一生、あまり変わらないものです。とある国に対して悪いイメージがあり、大人になってからその国の良いヒトとめぐり合っても、その国全体に対するイメージにはそれほど影響しない。たて続けに何人も善人(あるいは悪人)と会えば別かもしれませんが。。
いわゆる「国際人」でなければ、よその国に対する考え方などそんなものです。
そのヒトがどこの国の人間か、で第一印象で偏見を持たないようにしているつもりです。
また、付き合いが深くなれば、深く話していけば慣習、宗教観などに相違は出てくるはずですが、それは当たり前のことです。
欧米人はnoodleを音を立ててすすりませんし(そもそも、できない)、音を立ててそばを食べる日本人をキラいます。
が、欧米人の多く(ふつうの教育を受けたヒトたち)は我々の文化を尊重してくれます。
逆にそれぐらいの寛容さは我々ももたないと。。
慣習や宗教観の違いにより議論になったりしたらおおいにやればいいのです。
結局「違うんですね、以上」で終わるのですから。