(トンガリキッズ)
- カレンダー(予定の記入というよりはほぼ日記)はこちら
http://www.google.com/calendar/embed?src=stevengerrard.jp%40gmail.com&mode=AGENDA
再録・継続
- 東京トンガリキッズ
- 20061103
この本を読み進めていますが、自分には相当なインパクトがありました。
本の中のひとつのストーリーで、田舎娘が東京に遊びに行き、泊まり先(姉の家)から自慢げに友達に電話をする、というシーンがあります。
似たような光景を自分は見たことがあります。遠戚が東京の私の部屋に泊まりにきたときです。
電話でひとしきり友達に自慢した後(どこそこのライブハウスに行った、とか、服を買ったとか、原宿で写真を撮られて雑誌に載っちゃうかもしれない、とか)、その子は「高校卒業したら絶対とうきょにいく」「だって、毎日がとうきょなんだよ、とうきょ」といって結びます。
これを読んで、ああ、自分も何も変わっていないんだなあ、と思いました。この段階からまだ抜け出せていないというか、良くいえば、初期衝動を大事にしているというか。。
未だに「毎日がとうきょ」という状態を楽しんでいます。それだけで満腹、といいますか。起きたらとうきょにおり、活動する場所、働くばしょもとうきょ、寝に帰る場所もとうきょです。
この場合の、若い人たちが憧れる「とうきょ」とは、絶対的に原宿、渋谷付近を中心とする「都心」です。
こういう子らのほとんどは、20代ぐらいで「毎日がとうきょ」という時期も終わりますが、自分はそれだけが自分のアイデンティティだと思い、続けています。
自分は高校を卒業してまず「とうきょ」には行けませんでしたが。。(最初は横浜)
ところで、私の家に泊まりにきた遠戚は、地元の友達に電話し、「とうきょはあんまり面白くない」と言っていました。まるで悟ったかのような物言いでした。
それは当たり前なのです。こちらから何かをつかみにいかないと、何もゲットできないからです。ただそこにいるだけでは「とうきょ」は何も授けてくれません。
本に登場する田舎娘は、短い滞在日数で貪欲に「経験」をゲットしています。それは、微笑ましいものです。田舎娘が一張羅を着て「とうきょ」に勝負しにゆく、という気合の入れようが、とても好きです。
斜に構えていては何も得ることはできません。
-
- 20061110
(自分は)「トンガリキッズ」と何も変わってやしません。田舎のナゴムギャルに憧れる純情娘が東京にやってきたのは「ムーブメント」に乗りたかったからに他なりません。原宿で写真を撮られて雑誌に載るのが、ムーブメントの周辺にいる証。スカウトされるのは、ムーブメントのメインステージに引き上げられるトリガとなります。周辺からメインステージに引き上がるために超えなければならない高い壁に、99.9%の人間ははね返されてきました。
-
- 20061128
「東京トンガリキッズ」を読んでみて、そのような思いがじわっとわきあがってきました。
結局自分は、学生時分にハジケられなかったことをいまだに根に持っていて、そのうらみつらみを述べたいだけなのではないか? と思います。
バイトに忙しくてあまり「アソべなかった」とか、そういう低レベルの。。
そのときに、「ハジケられなかった」自分が憧れていたのが、横文字職業の卵たちであり、「サブカルチャー」およびサブカルチャー周辺に棲息する人種であったわけです。
「東京トンガリキッズ」については、読後感を明確にしていなかったような気がします。
この本は、けっこう衝撃的ではありました。自分の愛憎が凝縮されている、といいますか。。
読んだことはないはずなのですが、読んだような気がします。既視感があります。
自分はこの本に出てくる「キッズ」ではなかったのですが、片田舎でそれを望んでいたことは確かです。望んでいて叶わなかったがゆえに憎いといいますか。。
何が憎いのかといいますと、単に東京、あるいはその周辺に住んでいるという違いだけで「トンガリキッズ」を体現できている「奴ら」であり、その「奴ら」とは、上に述べたとおり、横文字職業の卵(文服、モード、美大芸大系を筆頭とする)や「サブカルチャー周辺に棲息する人種」であると思い込んでいました。(【重要】マーク)
ただし、憎いがゆえにこういう文化から距離をおいたおかげで、また、そのコンプレックスをパワーに変えたがゆえに今の自分があるのかもしれない、というのは、今まで度々述べてきたとおりです。
今の自分の「個性」はここから生まれています。
[再録おわり]
今、主婦をやってたりする元「ナゴムギャル」「トンガリキッズ」は怪しい。サブカルチャーから抜けきらないままに社会から離れ、「自分は人とは違う」と思いながら主婦を続け、「くすぶってる」と思い込んで。。そんな「あなた」には世間と接触する機会が少ない主婦がもっともお似合いなんです。自分が凡人なんだと気付かされる機会が少なくてすみますからね。
「アタシは世間でいわれている『ナゴムギャル』じゃない」っていうあの屈折した誇り。。どっぷりとその集団に属しながら、「自分はこの中でちょっと違う」という思いを捨てきれない。。集団に安住しながら「ちょっと違う」といわれても全く説得力がないのです。