元祖【ひとり公論】

誰かには必ず、ほんの少しだけでも役に立つに違いない、という意味での公論

田舎のヤンキーは地元を変えないのか?

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僕の育った田舎の福島県で最近、箭内道彦さんという方が「207万人の天才。」というイベントを仕掛けています。(「いるようです」といったほうがよいか。。)

箭内さんは僕と同世代といったところでしょうかね。

福島の会津出身のサンボマスターさん(あの、ボーカルの方)と組んでいろいろやっていらっしゃるようですね。

そういうのを、東京から俯瞰してみています。

僕も、墓参りで田舎に帰ったりしますが。。

勝手な推測ですが、箭内さんがそういうことをやっている動機は「やむにやまれず」のように思うのです。

なぜなら、福島という地方が、都会から俯瞰してみていると、「何も変わらない」ようにみえるから。

箭内さんもサンボマスターさんも、田舎から飛び出してきた人材です。そういう人材が外から自分の田舎を変えてゆく。(ゆこうとする)。

言い方を変えれば、「外からしか変えられない」。

僕も、福島出身で、大学進学のために上京してきたクチです。箭内さんもサンボマスターさんもおそらくそうでしょう。いってみれば、誤解を恐れずいえば「インテリ」の類でしょう。

で、「田舎のヤンキーは何をしてるんだ?」と、僕なぞは思うわけです。

中学の頃などは、田舎ではヤンキーが幅をきかせていました。彼らは、僕らからみたら「全能」のようにもみえましたし、実際彼ら自身にも全能感のようなものはあったでしょう。

彼らには、半ば暴力的ではありますが、「仕切る」とか「統率する」という点において才能はあったはずです。

なのに、そういうヒトたちは、田舎の高校を出て、今までいったい何をしているのか?

自分の田舎を変えようと努力しないのか?

なぜ、田舎がイヤで東京に出てきたような人材に、外部から変えられている? クヤしくないのか?

なんて、勝手にそんなことを考えるのです。

でも。。しないのでしょうね。。変えようとは。

よくよく考えてみると彼ら(いわゆる「元ヤン」?)は、自分たちがよければどうでもいいのではないだろうか、と、今は思います。

それにしても。。

若い頃全能感炸裂していた田舎のヤンキーが、バカにしていたマジメくんたちが、田舎がイヤで東京に飛び出し、結局そういう人間でないと田舎を変えられないという図式。。

相当なる違和感というか不快感というか。。感じるわけです。