元祖【ひとり公論】

誰かには必ず、ほんの少しだけでも役に立つに違いない、という意味での公論

慢性的な「不満足感」への対処(20061029,1028,0912)

本来の日記部分

  • 体調

昨日、東京マラソンで疲れて、すごく早く寝たのですが(今までの睡眠不足も一気に解消しよう、という思惑もあり)、起きたらすぐ頭痛が。。
少なくとも、毎日の睡眠時間がほぼ決まっている場合はドカ寝をしてはいけませんね。痛感。常にそれはわかっているはずなのですが。。
睡眠不足解消には昼寝が良いようです。20〜30分ぐらいの。

ムカシバイトしていたカラオケボックスが改装されて、アヤシげでなくなっている夢をみました。

  • カレンダー(予定の記入というよりはほぼ日記)はこちら

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活動・活動に関して(散歩、都市論etc)

いちょうのシーズンが終わって、今、樹木の枝を切りそろえているらしく、スカスカになってきました。これはこれでよいながめです。「こんなに枝切っちゃっていいの?」と思ってしまうぐらいスカスカになっています。例年、枝を切りそろえていると記憶していますがこんなにばさっとやっちゃっているのを見たのは初めてです。

再録・継続

  • 慢性的な「不満足感」への対処(20061029)

温泉に行きたい、旅行に行きたいが口癖の人は多いのですが、そういう人に限ってON時間のときそれほど働いているとは思えません。ON時間に充実した活動をした結果として、疲労が蓄積して休息が必要な状態になる、のではなくて、ON時間の充実度は関係なく、とにかく休みたいのでしょう。「まず休みありき」といいますか。
そんな人たちが蔓延していたら確かにその企業は伸びないでしょうね。。
充実して働いている人は「〜に行きたい」というのは口癖にはなりえないと思います。

この現代社会では、心の奥底で常に「不満足感」を抱えながら生きてゆかなければなりません。たとえば、「最近海外旅行にいけてない」「いきたい」というのも不満足感を助長する要因になってきます。
海外旅行にばんばん行けばお金が足りなくなり、あるいは職場で妬みの感情により仕事がしずらくなる、などの弊害が発生し、また不満足になります。
厄介なことに、身の丈にあった「ほどほどの生活」をしていたとしても、外的要因により不満足感は発生してしまいます。先日書いたように「人は人」と割り切ることがなかなか難しくなっているためです。

                          • (ここでさらに、20061028日記の引用)-------------

勝谷誠彦氏の日記で、昨今の事件に対して「遵法意識の低下」という言葉を使っているのが、自分の気持ちをうまく代弁してくれています。「さすが物書き」と思える瞬間です。そう思えない物書きさんもたくさんいますが。。
「この子にしてこの親あり」ということです。
たとえば、生活に困っているわけでもないのに給食費を払わない親がいるとか。。

遵法というのは損得で決めることではないでしょう。「人がやってるから自分も」という人が多すぎます。それは子供の専売特許ではなかったでしょうか。「みんな持ってるからおもちゃ買って」と。その「みんな」というのはせいぜい2人ぐらいなのです。

大人もそうなってきているという事実に対しては、1大人としては、その「大人気なさ」に愕然としてしまいますね。。

そこまで人の生活をのぞきこまなくてもいいのではないでしょうか。自己抑制できない人たちが他人の生活を気にしだすと、すぐに「隣の家の芝生は青い」状態に陥ります。「人は人」という考え方は昔は躾の一環としてありました。今は大人も「人は人」という考えを持てずにいます。なぜそうなってしまったのでしょう。それも高度資本主義社会の弊害なのでしょうか。

「自分」を持っているかどうか、という話の流れで、「家」「家庭」としてびしっとしたものを持っているかどうか、ということだと思います。

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この「不満足感」を取り払うには、「太く短く」生きる道を選択する以外にないのではないか、という結論に達しつつあります。実際に自分が太く短く生きることができるか、という話はまた別です。また、太く短くという人生を選択しても、偶然長く生きることができるかもしれません。

もちろん、持病と同じで、「不満足感」と付き合いながら生きてゆく、というのもアリです。その場合は不満足感を最小にする方法を考えてゆかなければなりません。

不満足感に対抗するのが「万能感」のようなものだと思います。
不満足感に対抗するためには連続した「充実感」が必要で、さらにこの「感じ」を得るために必要なのが「やりたいことは実現できている」という「万能感」です。

この「やりたいこと」をどう考えるか、ですが、あまりにハードルが高い「やりたいこと」を設定すると、「やりたいことが常に実現できない」という不満足状態に常に陥ることになります。
「やりたいこと」というのは、実現不可能に近い、本当に夢のようなことから、日常生活の延長の、少しの労力で実現できることまで、いろいろランクがあると思いますので、どこに落ち着かせるかが大事になってきます。
つまり、たとえば壮大な夢があったとしても、それを常に心の前面に押し出しておかない、ということです。その夢に対して、段階的に実現しなければいけないことを詳細に分析して、まずはその最初のステップを「やりたいこと」に設定するのが肝要です。
世の中の、成功している人たちは、意識的か無意識かは別として常にこの分析作業をやっています。

そして自分も、この分析作業に本格的に着手しようと思っているのですが。。
その一手段としてこの日記があります。自分の思いを書き出して分析しよう、という。。

ところで自分は、やりたいことは実現できています。それは、上述したように、設定している「やりたいこと」が壮大な夢ではないからです。
ですので、今は不満足感は最小に近い状態です。
今の自分にとってやりたいこととは、大金持ちになったり海外旅行にいったりすることではなくて、もっと「人として上のランクにいきたい」ということです。
その手段のひとつとして、生活習慣の改善があり、まずそれを実践しています。この実践により、嗜好品を少しずつ減らすことができ、また、早起きにより朝の時間を有効に活用できるようになりました。

以前書いたように、嗜好品の量の低下は、数値としてはっきり現れてくるので、良い励みになります。自分のおこづかいが増える、という直接的なモチベーションもありますが。。

                          • (ここでさらに、20060912日記の引用)-------------

[浪費を減らす、消費を減らす]

ここ数年、自分の嗜好品の消費量は、極めて少なくなってきました。酒、タバコ、缶ジュースなどです。とてもよいことだと思っています。

巷のダイエットのように、手法を用いて急激に減らす、または止める、というのではなく、数年かけて少しずつ減ってきました。減らそうという強い意志はありませんでしたが弱い意志は常にありました。

意志は弱いので、すべて、止めようとは思いません。ストレスがピークのときなど、タバコやお酒は自分にとって必要です。また、つきあいで吸ったり飲んだりすることはあります。

以前より、嗜好品を消費することにより一定金額が浪費されていることに対して、心の奥のほうでは常に「無駄だ、何とかしたい」と思っていました。その小さなストレスが今はほぼなくなっています。このような「小さなストレス」は他にもたくさんあり、快適な生活を送るためにこれらは何とかしてつぶしてゆきたいものです。

嗜好品を減らすという若干苦痛を伴う行為のモチベーションは、自分においては「健康のため」だったと思っていたのですが、今考えるとそれは建前であり、本当は企業側の思うとおりに消費してしまっていることへの反発だと思います。。「健康のため」というのは、実際問題、嗜好品をたしなんでいても日々の健康状態にはそれほど影響が出ないので、やや弱いものがありました。

流行を追ってしまうことや、CMで話題になっている商品を買ってしまうことも同じです。そのような企業側のマスコミを通した策略には常に違和感を感じており、何とかそれに乗るまいとは思っています。が、嗜好品については、その特性(中毒性?)により、まんまと策略にはまってきました。

「流行を追う」については、たとえば、マスコミの策略に乗らずに嗜好品を減らしていこう、という動きが日本の真のトレンドになってきたら、その「流行」に反発しようとは思わないはずです。ただし、流行というものは大衆でない側が何らかの目的で(資本主義ではほとんどの場合、消費させようという理由で)仕掛けるものなので、大衆側の自己防衛本能が大きなうねりになって、「流行」を凌駕し、新たな「流行」となってゆく、という状況は日本では起こりにくいと思います。

タバコについては、その危険性をJT自身が認め始めたということもあり、タバコを吸うことはもはや「トレンド」ではなくなってきていますね。

健康ブームというのは、結局は何かを買えば健康になるという話なので、消費させようという動きです。真の健康というのは浪費を抑えれば実現できると思います。が、浪費を抑えたら資本主義が成り立たなくなってしまうので、マスコミはそのようなことは伝えません。

要は、資本主義社会の中で快適に生き抜くために、あるいは満足感を得るために、真に自分のやりたいことに対して集中してお金を使いたい、ということです。嗜好品や、マスコミの宣伝は、それを邪魔しようとする動きなのです。浪費をしないというのは貯金をしたいということとは直接つながりません。

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生活習慣の改善というのは、壮大な夢とは違いますが、なかなか難しいことです。タバコをやめようと思ってもやめられない人たちはたくさんいます。実際に改善という結果を出しているので、もう少し自画自賛モードでもいいような気がしますが。。

ただし、自分のやりたいことがまた反転して「不健康な生活をしばらく送りたい」になってしまうかもしれません。それは、自分の心持には逆らわないつもりでいます。

もうひとつは、これも「生活習慣の改善」と関連しないこともないのですが、「挨拶をする」ということを実践しています。この当たり前のことを自分はできていませんでした。。
特に地域社会で、大きな声で挨拶することを心がけるようにしています。だいぶ仕事中心の生活をしてきたので、地域社会での「挨拶」というのは相当ないがしろにしていました。が、今は少しずつ改善されてきていると思います。

この「やりたいことを実現する」モチベーションがどこにあるか、といいますと、自分が「人として」なってないと、人に対して「なってない」と文句が言えなくなってしまう、という理由です。
「なってない」人に揚げ足を取られないようにするためです。
世の中の風潮や、世間の人たちの慣習、変化に不満があるのであれば、まず自分から変わってゆかなければなりません。それが「人として上のランクにいきたい」ということです。

この、生活習慣の改善とか、日常生活の延長でやりたいことを実現してゆくことが、自分の「壮大な夢」と直接的につながっているとは思いませんが、間接的には必ずつながってゆくという確信はあります。
その理由は、自分で決めたことを努力しているからです。
本当は、自分に「壮大な夢」というものがあるのかすらわかっていないのですが、それがあろうとなかろうと、近い先の「やりたいこと」を着々とこなしてゆけばよい話です。
なんだかんだと理由をつけて動かないよりはよっぽど良いです。

こういう、せっかく人がやる気になってきているときに、茶化す勢力もいますが。。 あるいは、足を引っ張るとか。羨望とか焦りからそのような行動をとっていただきたくないものです。
茶化すといえば、「SPA!」は、こういう「一生懸命さ」を相当嫌っていますね。だから自分も読まなくなりました。昔は、そういう斜に構えた論調を面白がっていた時期もありましたが。。
雑誌は変わらなくともよいと思いますが、自分は、変わってゆかなければなりません。雑誌は、変わらぬ活動をしていれば、思想の違いで抜けてゆく人と同じぐらい、人が賛同して入ってくれます。


(再録おわり)

なかなかいいことを書いていますね。今の自分の盛り上がりの萌芽が、10/28のこの時点でみられます。やはり、寝かせておくものが陽の目をみるのは3ヶ月ぐらいかかるのですね。