元祖【ひとり公論】

誰かには必ず、ほんの少しだけでも役に立つに違いない、という意味での公論

昔のメモ棚卸 健康に感謝 100%自分の責任と考える

トピック

  • 体調

毎年恒例の、かかとのひび割れについて。。
歩いていたらかすかに痛みを感じました。毎年のことです。これも毎年のことですが、クリームをぬりたくり。
かかとのひび割れはなんとかなりませんかね。。

健康にはホントに感謝、です。常にどこかに軽い痛みを抱えていたり、便秘だったり(あくまでたとえです)、毎日完全な健康でない人たちが多い中、自分は、継続的にどこかに不調を抱えている、ということがありません。たまにものすごい頭痛が襲ったりしますが。。
また、自分のメンテナンスの効果もあるとは思います。
昔大病してから、健康には感謝するようにはしているのですが、最近感謝の気持ちが薄れてきているような気がするのであらためて書いてみました。

再録

  • 2006/10/25

http://d.hatena.ne.jp/StevenGerrard/20061025

思考がクリアなときは我ながらいいことを書いています。(人が読んでの良し悪しではなく、自分の思いを素直に、わかりやすく表現できているか)
この日の日記では珍しく「良い日だった」と明記してあるので、「無礼な人たち」の襲来を受けず思考にノイズが入っていなかったのでしょう。
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人にとって「非日常」の経験は、「個性的」であるはずなのに、それがたとえば海外旅行であったり、温泉であったり、パターン化されているのは相当な違和感です。それはもはや「非日常」ではなく日常の延長でしょう。

それに比べて自分の「活動」が良いといっているわけではありません。日常を離れて自分が何をしたいのか、ということを、自分に対して耳をすます必要がある、ということです。それを自分は、常にやっている自負があります。

流行を追っているときには自分の心に耳をすましてはいません。それは、逃げなのでしょうか。自分は、自分の心(のようなもの)と対峙するのは子供の頃からやってきたので苦ではありませんが、もしかしたらこれは「修行」なのでしょうか。

暮らしに満足感を得るためには欠かせない過程だと思います。自分に耳をすまさずに、トレンドとおりの非日常をこなしている人ほど、「もっと、もっと」となっていつまでも満足しません。多大な労力を割いて半端な満足をゲットしにいっていることに、気付いていないのです。そしてそれは「トレンドには乗っている」という他人向けの自分のアピールにすぎません。

いや、いつまでも満足したくないのでしょうか。誰もが満足感を得たいと考えているはず、という前提すら間違っているのかもしれません。
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(【重要】マーク)

自分について

  • 天は二物を与える

二物を与えられた人たちは、好きですね。
二物を与えられた人たちは、おそらく高い確率で努力する才能もセットでもっています。

  • 早起きの効用

早起きすると、仕事がメインではなくて、1日の行事の中のひとつ、と思えるようになってきてよいです。
朝ギリギリまで寝て、飛び起きてすぐ通勤、となるとすべては会社中心でまわっているような錯覚をおぼえますが、早起きしていろいろこなして「そろそろ行くか。。」と会社に行くと心持がぜんぜん違います。

人生観、のような、「こうありたい」的な、または反面教師

  • すぐに補充できる人(昔のメモ)

「すぐに補充できる人」に、なりたいのです。
たとえば、家でトイレットペーパーがなくなったら、次の人に託さずに、すぐ補充する。
忙しいからとか面倒だからと言い訳せず。それぐらいの時間はあるはずです。
また、公共のものの補充のためなら、自腹を切ってもよい、とすら思っているのです。
たとえば、職場で皆で使うティッシュがなくなったら、すぐにでも自腹で補充したい。たとえば経費申請すると1週間とかかかったりするから。
お金の問題もあるけど、それぐらいは精神的に太っ腹でいたいのです。それぐらいいいじゃないですか。
「自分だけ損」と思いたくないのです。自ら損を取りにいってもいいじゃないですか。

といってもまだまだ全然ですが。。
そういう方面の努力をしていると運が巡ってくるのは間違いないと思っているのです。つまり、いやらしい気持ちも少しはあるということです。金銭的見返りは求めないが、運の見返りを「天」に求めている。それでいいではありませんか。

果たして税金も「くれてやる」と思えるかどうか。。 そのぐらいになりたいとは思うのですが
税金をたくさんおさめている人に優遇があってもいいと思いますけどね、そうすればモチベーションもあがるし。。

  • 100%自分の責任と考える

まず、軽く自分を責めるところから始めましょう、ということですよ。
何かが起こったら「すべて自分が悪い」と。それを口に出すわけじゃありません。黙ってそれをかみしめることです。
反面教師は、まず、「自分は悪くない」と思い込むところから入る人。そして、言い訳から入る人。

まあ、「覚悟」ですか。「オレにまかせろ」的な。
やっぱ、やせがまん。すましていましょうよ。つらいことは何もない、みたいな風情で。

ということは、その責任の範囲をむやみやたらに拡げないことが肝要である、ということもわかってきました。世の中には他人に責任を寄せてくる輩が多すぎますからね。。

my格言

  • 正直者が馬鹿をみない世の中に
  • 「やったもん勝ち」は許せない 「最初に気付いたもん負け」も許せない