元祖【ひとり公論】

誰かには必ず、ほんの少しだけでも役に立つに違いない、という意味での公論

気付いてしまいたい、ということ(2)

トピック

新年会パート2

  • 体調

引き続き鼻水
靴下を2枚重ねにして靴を履いたら靴ずれと似たようなことになりました。笑い話です。。

人生観、のような、「こうありたい」的な、または反面教師

  • 気付いてしまいたい、ということ(2)

情報の洪水を避けるのは悪いことではありませんが、そこから仙人のような生活に憧れを持ったり(実際やるのは難しいでしょう)、「農業」に走ったり(「農業」に走る時点で情報の洪水をよけきっていない)。。
とにかく、「逃げ」のような行動は好きではないのです。

大事なのは逃げずに情報の洪水を避けることですね。
あ、それを表現している言葉が「メディア・リテラシー」でしたね。忘れていました。

昨日の話の続きで、昔の人は、「情報の洪水」がなかったがために、身の程をわきまえることができたのでしょうね。

ということは、「情報の洪水」から逃げずに、情報の「しぶき」を浴びても自分を見失わずに、さらに身の程を知る、と。(これも今年の抱負か。。)

で、その「身の程」について、どのぐらいのレベルに設定するかということで未だに、この歳まで逡巡しているのです。たとえば、俗っぽいことをいえば「自分はもっと大金持ちになれるんじゃないだろうか?」とか。。

ただし、またまた引用しますが「ブラスト公論」のお題目は「誰もが豪邸に住みたがっているわけじゃない」でした。

我々が、「旧き良き時代」には絶対になかった優位性を享受できているのは、この「価値観の多様化」なのです。選択肢が多いということです。選択肢が多いということは選択肢という「洪水」でおぼれてしまう可能性があるということです。(【重要】マーク)ここを上手に泳ぎきれば未来はバラ色。。かもしれません。