元祖【ひとり公論】

誰かには必ず、ほんの少しだけでも役に立つに違いない、という意味での公論

回顧 「説得力」について 序章

トピック

年始は、しばらくPCやインターネット接続環境から離れたところに身を置くので、1/4の朝(1/3の日記分)から復活します。

  • 今年を振り返る
    • 総評

・背が伸びていること。これは大きな自慢。。ここ2年ぐらいで0.5センチ伸びました。
 20代では2〜3センチ伸びました。
 おそらく、徐々に姿勢がよくなっているためだと推測しています。

    • 仕事

今年は、仕事の面では、社会人になってから最低に近い1年だったと思います。
その、最低となってしまった原因はすべて外的なものだと確信しています。
昔は、「自分が悪かったのではないか」という謙虚な心も持ち合わせていましたが。。
最近は、自分はビジネスシーンにおいては「人として」何ら間違ったことをしていないという自負がゆるぎないので、自分が悪かったとはこれっぽっちも思いません。

で、いろいろもやもやとした思いがあり、頭の中がバースト寸前だったのでそのはけ口として日記を始めたのですが、それが非常によかったですし、まさかこのように毎日続けるようになるとは(毎日これほど書くことがあるとは)思いませんでした。

インターネットで日記をつけるようになる、というのは自分の中では劇的な変化でした。

さらに、日記の中のトピックはmixiにアップするようになり。。(stevengerrard.jp)
mixiとは何たるか、すら知らないので、SNSを全く有効活用できていませんが。。(ひたすら日記をアップしているだけ)

さらにはメールマガジンまで始めました。
これも、結局日記からのセレクトですが。。
http://merumaga.yahoo.co.jp/Detail/3840/p/1/


ケガの功名というか。。
仕事が不調だったからこそこのような変化も体験できたわけです。

また、ケガの功名といえば、夏場(この日記を始めた頃)はほとんど仕事がなく、いい歳をして半フリーター状態が続いていたわけですが、考えてみればここ数年でこれほど休息した時期はありませんでした。
いろいろ、とっ散らかっていた考えのようなものも集積して、まとまりつつありますし、この「天から与えられた(?)」休息も自分にとってプラスになったと思うことにします。

ただし、金銭的不安を抱えながら時間が豊富になるという状態は金輪際ごめん蒙りたいところです。




  • その他

・MyIEに出会ったことは自分にとって大きい。PCの利便性が格段に向上しました。

自動起動が馬鹿らしく思えるようになったこと。細かいことですが。。 

PCを起動するときとか、やたらとスタートアップに入れたりしていたのですが、最近は、起動時の処理は最小限にし、アプリケーションは自分で上げるようにしています。

これは自分の心理状態の何かしらの変化の表出のような気がしてなりません。(ので、備忘として残しておきます)

  • 来年の抱負

・「〜と思います」口調、文体からの脱却
・オリジナルな文体の確立、的な
・ムダな漢字を使わない。

他にもたくさんありますが省略。



人生観、のような、「こうありたい」的な、または反面教師

  • 「説得力」について

「説得力」を持つ、というのは自分の大きなテーマとしてあります。
来年一発目は、少しこれについて考えてみようかと思います。

糸井新聞のコラムに関連するようなことが書いてありました。
確か、栗山英樹さん(国立大学出身で教職免状を持っていたのが当時初の元プロ野球選手 話題性のみならず、一時期はレギュラーだった)が、「自分はプロでホームラン7本だった」と謙遜していたが、本当はプロ球界でホームラン7本というのはすごいことだ、というのを素人は忘れてはならない、といったような話でした。

プロ野球には、入団しただけで「説得力がある」ということです。


それともうひとつ、糸井新聞の対談で。。

どの分野でも75点までは一生懸命やれば誰でもいけるし、75点まで登った人は、100点を取れる人、残りの25点のすごさについて尊敬することができる、という話でした。
その尊敬の気持ちを持つことは、才能を持っていて100点まで登りつめてしまう人の経験よりももしかしたら尊いのかもしれない、といったような。

言葉に説得力が宿るのは、「75点」までたどりついた人から、ということになりますね。


家でぐうたらしながらテレビを見て、出演者に対して「たいしたことない」「あれなら自分にもできる」みたいなことをのたまってみたところで。。「説得力がない」。
自分がいちばん「たいしたことない」のです。テレビの向こうにいる人は少なくともテレビに出たいという努力は通過しており、その結果として「ブラウン管の向こう側」という、「『たいしたことない』とのたまう人たち」には一生手の届かない側にいるわけです。

小林よしのりさんも、「ゴーマニズム宣言」の中で同じようなことを言っていました。おそらく10年ぐらい前の巻だったと思いますが。。

努力、一生懸命さ、といったものをスルーしようとする人は永遠に「説得力がない」ということです。