元祖【ひとり公論】

誰かには必ず、ほんの少しだけでも役に立つに違いない、という意味での公論

「自分を不潔にする」論?(2)

「自分を不潔にする」論?(2)
まず、自分の身体(そのもの)ではなく、自分の周辺が外部とのインタフェースになるのだから、そこをキレイにしておくべきである、ということです。
他人を招き入れるというのであれば「家」そのものも外部とのインタフェースになります。

外部との関係性を常に意識すべきである、ということです。
自分の身体のみ清潔に保つのは独りよがりです。

自分の周りを整頓するのは、「礼節」のひとつでしょう。自分そのものではなく、自分の周りをまず第一に清潔にできる人は、人としてのレベルが高いような気がしますが。。

ファッションや、女性の化粧は、どちらにあたるのか。。自分の身体(そのもの)なのか、周辺なのか。。
それは、自分そのもののときもあるし周辺のときもある、ということになるでしょうか。
もう少し掘り下げられるかもしれません。

もうひとつは、
「地球環境」とか、よくわからない壮大なものよりもまず身の回りから、ということです。

以前、「第四学区」で、古舘伊知郎さんも「まず身近なところから」といったようなことを話していました。
タカさん(石橋貴明さん)の、
「自分は決して才能があるとは思わない。でもけっこう売れてしまって高額なギャラもとるようになった。相応しくないお金をもらっているのであれば、それを社会とかに還元しなければならないのかなあ、と考えたりする」
といった感じの発言を受けての、「まず身近なところから」でした。

別に大上段に構えていきなり「社会に還元」なんて考えなくてもよい、ということなのだと思います。

この番組はそもそも出演者は酔っ払っていたので、真相はつかみかねますが。。逆に酔っ払っているからこそ真相に迫っていたような気もします。

「地球環境」を語って「地球に優しい」(らしい)ことを励行しても、自分の周りに「優しくない」ことをしていたら全く説得力がない、ということです。

「説得力がない」というのも重要なキーワードですね。。 ちょっと本筋から外れそうですが。。

もうひとつは、先ほど頭にぽっと浮かんだのですが、

自分を不潔にする論->昭和へのノスタルジーにつながるのでは?
ということです。

昭和の時代は、「身の回り」が精一杯で、地球環境のことなど考えてはいませんでした。
また、現在のある種「潔癖」な世の中に比べればまだまだ衛生状態はひどいものでした。象徴的なのが「汲み取り便所」と「煙突」だと思います。

「自分を不潔にする論」というのはすなわち、その時代に戻ろう、と。。
と、深層心理で自分が本当にそう思っているのか、というのは、わからないので、考えてみる必要があります。