元祖【ひとり公論】

誰かには必ず、ほんの少しだけでも役に立つに違いない、という意味での公論

平穏無事な毎日。


平穏無事な毎日。 - シニアICT土方の【IT公論】

たとえば大金持ちになった人間の「カネ持ちになる方法」という本は、売れるだろう。説得力がある。

タレントが出すタレント本は、まァ飽きられるまでは、売れる。
彼らは「有名税」を払ってるからな。

一般人は、とある道を極めないと、本を書いたところで売れない。でも、タレントは、とある道のセミ・プロになった時点で、ネームバリューとの抱合せで、けっこう売れると思う。
そういう手法で本を書いている芸能人はたくさんいる。そこには、その「とある道」の普及に一役かってほしい、という誰かバックの思いがあるのだろうが。。

言い方を変えれば、タレントは、その道の「プロ」になる前段階で、本を書いてよいのだ。庶民は書いてはいけないのだ。


だが。。
オイラは、たとえば「平穏無事で少しだけ幸せ感を感じてゆけるような暮らし」を実現するための指南書のようなものを、書きたいのだな。
そして、オイラはそういうのを書いてよい(資格がある)のだと思う。
逆に平穏無事な生活を実現するための方法について、タレントは書いてはいけないだろ。大金持ちもそういうことを書いちゃダメだろ。まったく説得力がない。

比較論として、というか。。「平穏無事な暮らし」「暮らしのなかのちょっとした幸せ感」を実現することは、庶民にこそできることでね。
そしてそれこそが、この現代社会で実はもっとも求められてることだったりするんだが。。(そして、そういう指南書のようなものが)

別にさ、オイラにだけ特別にそういう指南書を書く資格がある、といいたいわけじゃなくて、大多数の我々庶民、凡人こそが書ける。我々の叡智をしぼって、「軍団」として書ける(書こうよ)ということを言いたいんだな。