小ネタ集 「片付けられない人たち」など
トピック
- 快楽原則
快楽原則に基づいて、いかに楽しいことに流されるか、というよりは、いかに不快な思いをする確率が高そうな場所から距離をおくか、ということを、今日考えました。
これと、「一生懸命生きる」とセットでやればよいと思います。
距離をおく、イコール逃げる、と他人に思われないことが肝要です。一生懸命生きていれば逃げているとは思われない。
過去のmy格言と、根底に流れている思想は同じですね。
- 『幸せ』とは楽しいことではなく、不安がないことである
- 本当に成功している人とは、やりたいことをできる人ではなく、やりたくないことをやらずに済ますことができる人である
自分はとにかく生真面目に「何事も経験」と考えすぎで、不快な場所(物理的な"place"とはちょっと違うのですが)に首を突っ込みすぎなのかもしれません。
それに気付いたのは最近のことです。他の方々をみていると、皆さん上手に逃げています。
でも、ただ生きているだけで向こうから「不快」がぶつかってくることも多々あるのですが。。 自分の「生き方」に問題があるのか。。
人間ウォッチング
国道沿いを歩いていると突然セルシオが停車し、そこから降りてくる家族連れ。。
足早に向かうのはなぜか吉野家。
上品そうな格好をしているのに。。 あのまま、上品なフレンチにでも行けそうな佇まいなのに。。
お父さんの好みなのでしょうか。
オレも、わたしもそう思う、と言ってもらいたい
- 小ネタ集
乃木神社、あるいは明治神宮のような、どちらかというと近代の現人神のほうが、信仰対象として信頼できそうです。徳川家康を祭った東照宮ぐらいが時代としてはギリギリです。よくわからない菩薩とか、観音とか、そういうのはあまり信用できないように思えます。単に、ピンとこない、ということです。
逆の考え方の人もいるのでしょうね。
消費者金融の「無理のないご返済プラン」というのは、要は、返済期間を長くして1回の支払い金額を減らし、利息をむしりとる、ということでしょう。カードローンのリボ払いもそうですが、金融屋は早く返されてりまうと商売あがったりなのです。
違和感
- 嫌いな人種
嫌いなタイプというのを先日書き出しましたが、
http://d.hatena.ne.jp/StevenGerrard/20061019
他にも思いつきました。
・お膳立てしてくれるのを常に待っている。他人がお膳立てしてくれることを当然と考えている。
→ムダなプライドが高い
・お膳立てされた状態で、立場をわきまえず文句を言う。
・表面上だけ人の指示に従い、途中までは遠慮の様子を見せていて、黙っている。そして最後に「あんまり面白くなかった」といったような、一発文句を言わないと気がすまない。
→最後のこれですが、うまく書けないのですが、最近こういう人が多いです。
わかりやすいたとえでいえば、ご飯をおごってもらうのが当然、と考えている人を連れてゆくと、こういう人に限って「おいしくない」とか、それに類する言葉を発して、場をシラケさせるのです。
マナーの問題ですね。それと、いわゆる「空気を読めない」というやつでしょうか。
そういう人は、文句をいうところがないのは屈服と同じ、と考えているので、自分のプライドを保つために、必死に粗探しをして、ほんの細かいところに難癖をつけるのです。
その場所でその言葉を発する意味がないのです。単なる独りよがりの発言であってその集団の和を考えることができない。
糸井重里さんのエッセイか何かで、詳しくはおぼえていないのですが、
若さゆえにプライドが高く、世の中に対して不満ばかり述べている人を、なんとかして黙らせてやろう、とすごくおいしいお店に食事に連れていったところ、案の定黙って食べていたそうです。食事に何かしら文句をつけてやろうと考えていたようでしたが、それもできず。。
「どう?」と聞くと、「いえ、大丈夫ですから」と答えたそうです。
なぜ「大丈夫ですから」という言葉を選択するのか、というのは、よく理解できます。
- 「片付けられない人たち」
世の中にはキタナい部屋にすみたがる人たちがいます。
彼らにも言い分はあるようです。「雑然としてないと落ち着かない」とか。。
彼らは要は、不潔なのです。不潔というのは「人として」最低レベルの話です。
「片付けられない人たち」という新たな人間としてのジャンルがマスコミによって確立されてきており、彼らは大喜びです。これで大手を振って「自分は片付けられない人種だから、できないものはできない!」と声高に宣言することができます。
開き直った人をちやほやするのが問題なのです。「自分は不潔だ、きたない」と宣言しているのと同じなのに。。
「不潔な人」と聞けば誰もが嫌いでしょう。もっと嫌われて然るべきなのです。
言葉をオブラートに包む手法、最近でいうと「ニート」と同じですね。
そういえば、そういう人たちは、身の回りの整頓はできないのに自分の身体だけは毎日石鹸で洗っていたりします。自分の身体だけ清潔に保ったところで仕方がないのです。これも「独りよがり」の発露なのですよね。
片付けられない人たちは、モノがたくさんあるほうが豊かである、と未だ勘違いしています。高度成長期時代から抜けきれていない、俯瞰すれば「時代遅れ」の人たちなのです。
もう日本は次のステージにきています。また、快楽原則の話ですが、これからは「いかにモノを増やさないか」です。
- おこげの話。
話のソースを忘れてしまいましたが。。 Avanti@T-FMでしたか。。
高度経済成長期には、おこげができない電子ジャーの開発にやっきになっていたが、今はおこげをわざと作る店が受け入れられている、という話。
この話は、私の違和感アンテナに絡まりつきました。
これも「レトロブーム」の一環なのだとすれば、自分の「昭和礼賛に対する違和感」については定期的に書き出しています。
http://d.hatena.ne.jp/StevenGerrard/20061026
http://d.hatena.ne.jp/StevenGerrard/20061005
http://d.hatena.ne.jp/StevenGerrard/20060925
これほど頻繁に書いているということは、自分は相当気にしているのですね。。
会社シリーズ(仕事論含む)
- オンスケでは意味がない
プロジェクトは前倒しがちょうどよいのです。線表というのは「ここから始めないと間に合わない」ところから始まっているから、最初からクリティカルなのです。
さらに、リスクは織り込み済みではないので(線を引く人が、リスクから目を逸らしているので)、高い確率で予定は実現できません。
スケジュール表は絵に描いた餅であるということに、本気で気付いていないのか? と思うことが多々あります。
今日もまた、ひとつのテーマに絞って深く考えることができませんでした。。
なんでこんなに、わんさかと書き出すことが出てくるのか。。
また明日。