元祖【ひとり公論】

誰かには必ず、ほんの少しだけでも役に立つに違いない、という意味での公論

年金記念日 外食WEEK終了 会社シリーズ 時間にルーズって最低では

トピック

  • 良くない日

今日も、世の中の無礼な方々のおかげで、感情を害されることがあり、よき日ではありませんでした。

こういった無礼な方々は、今後も増えてゆくでしょうから、こういう良くない日が続かないよう、世の中との関わり、しがらみは、少しずつ断ち切っていっています。
とはいっても自分は引きこもりではありません。通常に日常生活を送り、納税の義務を果たしている「一社会人」としての結論ですので、誰にも責められる筋合いはないでしょう。


こういう、良くない日というのはそれに対する文句がばーっと出てきて、本来書き出したい自分についてが後回しになってしまうので、大迷惑なのです。
とにかく、外的には穏やかな一日になることを願います。が、通常の社会人をやっていると穏やかな日というのは滅多にありません。

外食・食べることに関して

  • ニューオータニ

ニューオータニで「普段飯」でした。庶民的な飲食店が並ぶ一角で、軽く食事を。特に印象なし。
ガーデンラウンジで日本庭園を見ながら食べたかったのですが、行ったのがちょうどお昼で、だいぶ並んでいました。


午前の予定が遅れると、昼にかかってしまってこうなってしまうのは想定済だったので、私はそうならないように動きたかったのですが、時間どおりに動くことのできない「他人」のおかげで、ある意味予定どおりの結果となりました。


スケジュールというものに対してルーズな、レベルの低い他人と行動すると、自分の実現目標に支障がでてきます。


こういうときに、どのような反発があるかというと、、
「あなたの本気度合いがわからなかった(聞いてなかった) あなたがそこまで本気だと知っていたら自分はもっと違う行動をとっていた(つまり、遅れることはなかった)」と。
人の「本気」がある一定以上でないと自分の生活を曲げる気にならない、と。
まず、「自分のせいではない」という理論武装をするために、「聞いてなかった」を連発します。これが、低レベルの証ではないかと思っています。

阿呆らしくて絶句、脱力してしまいます。集団において誰の思いが本気かどうか、は全く関係なく、人間同士の約束の基準値として「待ち合わせ時刻」という考え方があるわけです。それを、全会一致で決めたのであればそれに従えばよいだけの話です。


その「待ち合わせ時刻」ははっきり聞いているのにも関わらず「本気度を聞いていない」というのは。。
何かおかしいでしょう。

こういう人は、たとえば自分の海外旅行のためであれば、4時に起きることもできます。ただし、プライベートでの人との待ち合わせには必ず遅れます。さらに、普段の節制がないがために仕事でも遅刻しがちになります。
ルーズか否かの尺度は、時間だけではないかもしれませんが、まず、他人との関わりあいにおいて時間にルーズな人、加えて、にもかかわらず自分のスケジュールには従順な人、というのは、「要注意」とレッテルを貼られるのは当然。それは、世の中の知恵です。


仕事をやっていると、リスクを想定して、それを防ぐためにどうするか、というのは常に考えておくものですが。。 それをできない人種はたくさんいるわけで、そんな人たちに自分の人生をひきずられたくないものです。なぜ自分が尻拭いをしなければならないのか、という思いは常にあります。


私にとっては、「低レベルな他人が低レベルな行動をとる」ことがリスクなわけですが、それに対して自分は無力です。ですので、そういう人たちとお付き合いをしないようなリスク回避しかないのです。

活動・活動に関して(散歩、都市論etc)

  • 外堀土手

ニューオータニから、外堀土手を散歩し、四谷駅まで。このルートは初めてでした。強風でしたが天気は回復しており、なかなか気持ちのよい散歩になりました。
特に今日は、良き日ではなかったので、散歩で気を紛らわせるのはどうしても必要でした。

オレも、わたしもそう思う、と言ってもらいたい

違和感

  • 説教という交通事故

久々に缶コーヒーを買いました。歩きながら飲み、最後、空き缶を捨てる場所に困り、ほんの軽い気持ちでとある神社の売店に「ゴミ箱はありますでしょうか」と聞いたところ。。
「どこで買いましたか? お買い上げになったところで捨てればよいのでは」と。
年輩のおばさんでした。

この「正論」に対して相当不愉快な思いをし、今日という日はスタートから台無しになりました。


こういうケースで、何に対して腹が立つか、といいますと、まず、「あなたに説教を聞かされたくない」ということです。私は、ゴミ箱はあるか、YES/NOを聞いているだけです。ゴミ箱があっても個人のゴミを捨ててほしくないのであれば、NOと即答すればよいだけの話です。NOと言われたら私は不愉快な思いはしませんでした。(はじめから、それほど期待していませんでしたので)

トイレがあるのに「ない」とはっきり言うampmのように。


次に、自分が、「申し訳ない」という気持ちから、丁寧に聞いたのが悪かった、自分に腹が立ったということです。「下手に出るとつけ上がられる」のをわかっているにも関わらず、余計な行動を取ってしまった(つまり、レベルの低い人とコンタクトしてしまった)ことに対する反省。
彼らは、神社の売店なのですからサービス業のはずなのですが、心はサービス業ではありませんでした。そこまでは見切れませんでした。
要は、申し訳ないという気持ちなど持たず、もっとぶっきらぼうに聞けばよかったのです。ぶっきらぼうに聞いてぶっきらぼうに返されれば、イーブンなので、こちらも怒りの感情は起こりません。

雑感

  • 年金記念日

先日、社会保険庁の、自分の年金納付情報がわかるというID、パスワードを入手し、年金額試算というのを気軽な気持ちでやってみたのですが。。 自分が65歳以上になったら国からいくらもらえるのか、というその額は正直、舐めていると思います。(「予測の値なので注意」という但し書きはありましたが。。)
年金額納入が自分の家計に与えてきた負荷、影響を考えると。。 確かに、事情により未納の期間もありますし、全免の期間もありました。それにしても少なすぎやしませんか? と。
自分は、それほど国のインフラというものを湯水のようには使っていないと思うのですが。。もう少し将来の年金額(つまりこれは、お金そのものというよりも、将来の「安心額」です)に充当してくれてもよいのでは、と思います。


国のために何とかしよう、という気持ちは、しぼみますね。この感情は、果たしてこちらが傲慢なのでしょうか? 国の、年金を「払ってやるよ」という申し出に対して、無条件にひれ伏して受け入れなければならないのでしょうか。年金は本当に、「出るだけありがたい」のでしょうか。


なぜこのような感情がわき起こるのかというと、自分はけっこう「日本」というものは好きで、この国のために何か貢献したい、と本気で考えていたりするのです。それは、国のために特攻する、といった軍国主義上の愛国心とは少し異なります。


今日は、自分の65歳以降の「基本給」がはっきり数値化されて理解したという、記念すべき日です。
国には頼っていられない、国家という存在とはもう少しドライに接するべし(期待すると裏切られる)、ということが明確になっただけでもよしとしましょう。


それにしても、自分は本来大病をしてますし、65歳以上まで生きる確率は相当低いのですが。。 そう考えると余計アホらしいような気もします。
年金で生活する、と考えるから卒倒しそうになるのであって、それを小遣い、というか、純粋に投資に充当できる資金と考えれば、よいのでしょう。


というよりも、そう考えるしか選択の余地はないでしょう。となると、老後の生活資金(もし、「老後」まで生きたらの話)は、貯金などのそっくり別な手段で確保しなければならない。。
おかしな話です。

会社シリーズ

  • 年金の話の続き

今後はどうなるかわかりませんが、企業の厚生年金は、老後夫婦がそれなりに暮らしてゆけるぐらいの額がある、と聞きます。企業が積み立て金を半額ぐらい補助している、というのもありますが、
今後もっと自助努力を要求され、厚生年金が今後少しずつケチられていったら、長期間同じ企業に忠誠するモチベーションというのはどこに求めればよいのでしょうか。
この件は、私にはよくわからない話です。
会社の、優秀な頭脳を受け入れるためのサービス、施策としての「福利厚生」が、ムダであるという理由でどんどん削られてゆきます。賃金も、横並び主義で基本給はどこもほとんど変わりません。そのくせ、優秀な人材はもちろんほしい、と。。
それではいったい、優秀な人材を引き寄せるためのセールスポイントはどこにおくのでしょうか? 
仕事面でしょうか。まさか、「ウチはやりがいのある仕事ができる」なんて、いわないでしょうね。。 それは企業側の思うツボです。 それに乗ったら、安い賃金で泥沼のように働かされます。


「ウチは、仕事は楽だけど給料はそれなり」とか、「天引きが非常に多いが、将来の退職金、年金支給額がすごい」とか、「むちゃくちゃ仕事をやらせるけど、給料はすごい」とか、そういう特色があるとわかりやすいのですが。。
これは、転職・就職活動が売り手市場になってくると、こちらがチョイスできるようになるのでしょうね。
企業面接で「弊社を選んだ理由は」と居丈高に(さらに、誇らしげに)訪ねる面接官とか、それに対してありきたりな美辞麗句を並べてその会社に「雇ってもらおう」という媚びへつらいとか、そういうものに対してものすごい嫌悪感を持っています。
雇ってもらいたい理由は、まず「お金ありき」でいいじゃないですか。給料が高そうだから、または、給料はふつうだが楽そうだから、とか、企業を選ぶ際の選択肢は結局その二択なのではないですか。


就職情報誌には騙されないようにしないと。。 自分も過去に相当あおられ、ムダな行動をしましたので。。