元祖【ひとり公論】

誰かには必ず、ほんの少しだけでも役に立つに違いない、という意味での公論

「常連」にはなるまい 大人になってからの「仲間」とは

【トピック】
リーダが「こんなの簡単でしょ」と舐めている作業こそ、本当は舐めてはいけないというか。。
そのパートを舐めてかかったがゆえに品質が悪くなり、その後の工程に影響する、という場面を自分は何十回も見てきました。だからなるべく精緻化をはかっているのですが、「そんなに時間をかけなくともよい」という多勢の意見と対立してしまいます。
そして、私には「そんなに時間をかけなくともよい」作業だらけにみえます。

このあたりをもう少し抽象化できたら面白そうですが。。

【活動・活動に関して(散歩、都市論etc)】
赤坂プリンスホテル旧館へ。

【面白かったこと・良かったこと】
村田製作所のロボット?の「ムラタセイサク君」、とてもよいネーミングだと思います。。

【自分について】
[たまり場について]
昨日は「集団」というものについて少し触れました。それに少し関連してくるのですが、

学生を卒業し、働き出してから、「たまり場」のような空間がほしいなあ、と常に思っています。
いついっても、誰かいる、といったような。
イメージとしては、喫茶店とかそういう空間よりは、碁会所のほうが近いかもしれません。



http://d.hatena.ne.jp/StevenGerrard/20061002
http://d.hatena.ne.jp/StevenGerrard/20060727

車に乗るようになると、こっそり違法駐車するのが平気になったり、犬を飼うようになると、道端に糞をさせてしまってもそのままにするのが平気になったり、そういう人たちにうんざりしているので、「常連」もその延長ですね。とある店が行き着けになり、「マスター」と顔なじみになったりすると、いきなり態度が大きくなり、他の客のことを考えない振る舞いをするようになる人を自分は相当数みてきました。

「常連」になる人はそれをしたいがために店に通うのでしょうし、店側はお金を落としてくれるので大切に扱わざるをえないし、利害が一致してしまうんですよね。
もともと飲食業界というのは一見に厳しいですし、それは未だに残っています。

話がそれていきそうなので戻すと。。
働き出してから、家が好きになってきたような気がするんですよね。でも、「たまり場が欲しい」という感情が常にあるということは、「家が好き」というのもムリにそう思い込んでいるだけなのかもしれない、と思います。

「たまり場」という言葉を使ってしまったので空間の重要性についてばかり考えてしまいましたが、たまり場が欲しいというのはつまり、「仲間が欲しい」ということでしょうね。
仲間。。 相当青臭い言葉ですね。

自分と価値観を共有できる人たち、ということでしょうか。
まず、「そんな人たちはいないだろう」と考えているような気がするので、その時点で傲慢な考え方のような気がしてきました。

中学・高校というのはおそらく、それが実現できていました。「仲間」がおり、価値観を共有でき、「たまり場」もありました。
中学・高校で実現できていたのに、今実現できないはずがない、という考え自体が間違っているのでしょうか。

先日、中学校が一番楽しかった、ということを書きました。その理由として不安がほとんどなかった、ということを挙げましたが、それをあわせて考えると、中学校時代というのは万能というか、ほとんどすべてのことを実現できていた、ということになります。
その状態に近づこうとしているわけですね。

中学校時代と今は、違いますけどね。。 そもそも中学校時代は親の庇護のもとに暮らしていましたからね。。

で、中学校時代に近づくためにまず何をすべきか、ということで、不安要素を減らすために「お金が必要」という結論に達したのでした。

しかし、「仲間」はお金では買えないわけです。これがポイントですね。
世の中のほとんどのことがお金で解決できる、と思った時点で、「仲間が欲しい」という希望は放棄しなければならないのでしょうか。

でも、「世の中のほとんどのことがお金で解決できる」集団がイコール、「仲間」ということでは? とも思います。
そういう思いを持つ人たちが果たして集団を形成するか? という疑問もありますが。。
それは、「世の中のほとんどのことがお金で解決できる」と考える人イコール「金の亡者」のような、人を信じないような人種という刷り込みがあるからでしょう。

「お金」について考えることが今流行っているので、善人もお金について考えています。
成金にならなくともよい、大金持ちにならなくともよい、と心から思っています。
自分のやりたいことに打ち込めるための余裕資金がほしい、ということです。
その「自分のやりたいこと」が多様化しているのです。
余裕資金を持つとどうしても陥ってしまうお決まりのコース、のようなものがあり、
たとえばベンツであったり、ブランドであったり、不動産であったり。。
そういう方向に向かわない、「ふつーの小金持ちさん」に期待したいです。

自分が価値観を共有できそうな人種の漠然としたイメージは、これでできました。。
これは自分にとっては相当重要なことです。
やはり書き出すのはいいですね。

今までは、仲間がほしい、たまり場が欲しい、といってみても、「じゃあどういう仲間がほしいのか?」というのがわからずにいましたが、何となくわかるようになってきました。
2歩ぐらい進んだので、いずれ、見つかるでしょう。。

仲間ができたら何をしたいか、と考えると、自分はとにかく、思う存分話をしたいのだと思います。気の合う人、価値観を共有できる人と。
ここで書き出してみて意見を整理するように、良き受け手とたくさん会話をすることにより、何か自分の考えの「方向性」のようなものを見つけてゆきたいんでしょうね。
その「良き受け手」が、自分の前からだんだん減ってゆき、今、皆無になっているのは、さびしい限りです。