元祖【ひとり公論】

誰かには必ず、ほんの少しだけでも役に立つに違いない、という意味での公論

抜歯2 若者は、集団の中で楽しく苦しみながら実力を伸ばしてゆかな

【トピック】
歯科にて、親不知抜歯。麻酔が切れた後鈍痛があったので、予防の意味で痛み止めを飲みました。しばらく口の中が血なまぐさいです。
それにしても、鈍痛で済んでいるのだから素晴らしいです。

【なるほど、と思った】
まるかんの斎藤さんのメルマガより。このメルマガからは良いサジェスチョンを受けます。

 「一度幸せに気付いた人は、ニ度と不幸にはなれない」
 その理由は『人間は利口にはなれるけど、愚かにはなれないから』
 幸せになる方法を一度身につけてしまうと、その方法を忘れて不幸になることはできない。

うーん、そういう切り口があったか、と思いましたね。

その「幸せになる手段」から目をそむけている人がたくさんいるように思います。
誰もが「幸せ」にはなりたいはずなのに、不思議ですね。。

【自分について】
[属する集団の重要性]
昨日は、不安を解消させるツールとしてお金のことばかり書いてしまいました。

神宮の話の続きですが、若者が物事に打ち込むというのは、環境によるので、そこにたどりつくのは難しいことです。誘惑も多いですし、若い頃は自制心が効きません。
「物事に打ち込める」という幸せな状態に導くためには、大人の手助けが必要です。それと、どの集団に属するか、というのが環境としては非情に重要になってきます。
集団というのは積極的に選ばなければなりません。我々がスポーツなどにおいて、コーチを選ぶのと同じことです。

また、子供は、もっとも重要な「大人」である親を、選べません。。ですので、親が、良い親(単に優しいだけとは違います)になるべく努力しなければなりません。

体育会系の部活動も含め、集団での生活の経験というのは非常に大事です。ですが最近思うのは、あえて居心地のよくない空間に身をおかなくともよいのではないか、ということです。
先を見越している、というか、計算により一定期間居心地の悪い空間で過ごさなければ後の成功はない、という判断のもとにやっているのであれば、かまいません。

簡単なたとえでいえば、運動部であれば、ユニフォームすらもらえない補欠のまま卒業を迎える、というのは、少し虚しいし、ずっと苦しい状態のままなのではないか、と思います。
ですから、願わくば、その集団のトップに近いぐらいの実力をもっていれば、自然と楽しいですし、同じぐらいの実力の人たちとの切磋琢磨は苦しくありません。「楽しく苦しみながら」実力も伸びてゆくわけですから、こんなに素晴らしいことはありません。

それは理想論に近いのかもしれませんが、若者が、「ぬるま湯」とは異なる意味で居心地のよい空間というのは、必ずあるはずです。スポーツはあくまでたとえであってそれに限った話ではありません。それは、親や教師、年輩の指導者が、導いてあげなければならない、と思います。
今は学校すら選択する時代です。昔は、一部の人種をのぞき、子供は地元の公立小学校、中学校に進むのが当たり前で、その前提で社会が成り立っていました。が、今は違います。
親が、いじめのない学校を、と願うのは当然のことです。最初から子供が苦しむだろうとわかっている集団の中に子供を放り込むわけがありません。


少し本題から外れましたが、大人も子供も、物事に打ち込める状態というのは、不安から解放してくれます。ただし、その「物事」というのはギャンブル等でなくて、「健全」なものである必要がありますが。。
極端にいえば、物事に打ち込んだままお亡くなりになるのがベストです。それが「本望」というものでしょう。

何に打ち込むか、は、(決まっていなければ)大人は自分で決めなければなりません。
それが、仕事(報酬を得るための)とシンクロしてくれば、幸せだという話はよく耳にします。

今の自分の状態だと、常にここに帰結するんですね。。
何度も書いていることですが、そこからの進展がない。。
この話はもう一度整理しますか。。