90年代 同世代連帯の話の続き 民度
本来の日記部分
- 体調
ほぼ隔週でプールに通っていて、好き勝手に泳いでいるのですが、続けていると、成長を感じます。だんだんと長い距離を疲れずに泳げるようになってくる、とか。
水泳は身体に良いとききますが、具体的には、心肺機能の維持に効果的なのでしょうか。
また、小学校の頃は、田舎だったのであまり娯楽もなく、夏は学校のプールで水泳ばかりしていましたが、それが子供の頃の自分の基礎体力作りにはよかったのかもしれません。
- 仕事
メール打ちまくり。。 自分PRというか。。 もともとフリーですのでこういうことも必要かな、と。
自分について
- アイディアをこぼさない、という話
糸井重里さんも自身のコラムで書いていた話ですが。。
外を歩いているときなど、何かしらのアイディア、考えが浮かんだときに、「こぼれそうなコップをそーっと持ち歩くように」家に持ち帰るわけです。そのときに、いろいろな工夫を試みます。たとえば、インパクトのあるキーワードを念仏のように反芻して記憶域にほおりこむとか、連鎖して思い出すように、景色を目に焼き付けておくとか。
メモを常時携帯しているわけではないので、そういうのも大事になってきます。この訓練が良きアタマの体操になっているような気もしています。
メモを携帯しているにも関わらず、メモるのを後回しにすると、高い確率で忘れますね。。
そういう突然「降臨」してくる発想というものが大事だというのは、けっこう皆気付き始めているのではないでしょうか。「はかないものだからこそ美しい」というか。。ちょっと違うかな。
わざと忘れやすくされているような気がしますね。
自分の内側から創出されるメッセージといったものは大事にしなければならない、というのは最近常々思っています。が、それにしてもなぜホントに、脈絡もなく突然やってくるのでしょう。。
会議中とか。
以前にも書きましたが、外部からの無用な情報のインプットが激減したおかげで、内部から発せられるメッセージが出てきやすくなったように思えます。
人生観、のような、「こうありたい」的な、または反面教師
- うさんくさくない環境問題
【重要】マークなことを思いついたような気がするのですが。。
ずいぶん前に、自分は連帯を好まないくせに仲間が欲しい、とか、仲間がほしいといってもどのような仲間のイメージなのかわかってないとか、自己批判していたのですが。。
まず、同世代間連帯を望んでいるのです。同じ時代を生きてきた人たち、というか、もっと俗っぽくいえば同じテレビの洗礼を受け、同じ音楽を聴いてきた人たちですね。
http://d.hatena.ne.jp/StevenGerrard/20061019
http://d.hatena.ne.jp/StevenGerrard/20061030
http://d.hatena.ne.jp/StevenGerrard/20070227
その中でも、話が合いそうな、というか。。 同じ時代を生きてきたからこそ話が合う可能性が高くなる、というのはあると思うのです。
で、「うさんくさくない環境問題に行き着ける人」というキーワードを思いつきました。
我々はもう、ハコモノは充足している世代なのです。我々世代が「民度」を上げてゆくための手段はもう、物質的に豊かな生活ではないのです。なぜならばそれはデフォルトで用意されているからです。
そこで、「環境問題」がでてきます。この言葉自体がウサンくさいので。。 範囲を地球とか、世界とかに拡げずに、まず身近なところから、と考えることができる人が民度が高いといえましょう。
http://d.hatena.ne.jp/StevenGerrard/20061217
それと、「新しい金の使い道」を描ける人です。
http://d.hatena.ne.jp/StevenGerrard/20061023
仮に大金持ちになったら。。 というお題を与えられたときに、浜田省吾よろしく「ベンツにプール付マンション」はちょっと古すぎます。でも、実際金を与えられると、こうなってしまう。。 それはおそらく我々の世代の大多数もそうです。
そうならない人。つまり、やりたいこと(これはつまり「善道」です)をやるために、生活を維持するためにお金が必要、と自然に考えることができる人。
「ベンツにプール付マンション」はハコモノの延長なのです。こっちにいってしまう人たちはまだ豊かな生活イコールハコモノ、という価値観から脱却できていない。
ボランティア、という言葉にホントは近いのですが、この言葉もウサンくさくなりすぎているので、「善道」という言葉がふさわしいような気がします。
それと、「やりたいこと」が自然に善道に向かう人ですね。「やりたいこと」と聞かれて旅行とか、自分のエゴを満たす行動を即答するうちはダメなんでしょう。
私も、まだまだです。その域を超えたいと思いますし、そういう人間が増えれば日本は変わりますよ。
こういうことに、気付き始めている同世代が、たくさんいるはずなのです。その確信はあります。ですからそういう方々(すでに実績を上げられている方々)とどのようにゆるやかにつながってゆけるか、と。
皆で「ウサンくさく」ならずに。
「自然に」というのが大事だと思うんですよね。他人や世間に対するポーズとか、ビジネスを絡めつつ、だとどうしてもウサン臭くなってしまう。
「自然に」というのは、言い訳がましくないということです。
この話も、過去の日記をひもとけば、約4ヶ月前に自分の中では盛り上がっていた話ですね。しばらく寝かせておいて、考えが醸成されてきたのでしょう。