元祖【ひとり公論】

誰かには必ず、ほんの少しだけでも役に立つに違いない、という意味での公論

試験 偏差値60の呪縛(2) 仕事人間で何が悪いか

【トピック】
毎年恒例の、試験のため明治学院へ。
会場はその年によって違いますが、今年は近くてよかったです。自転車を飛ばして行きました。

結果は。。 どういう結果であろうと、近々わかります。
この試験に興味が向いていた時期もあったのですが、今はもう毎年の恒例行事として受験しているだけなので。。  もう潮時かもしれないですね。


【「そう思ってたんだよ」(うまく説明してくれた)】
まるかんの斎藤さんのメルマガより

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・出世をする人間というのは、自分に必要なことに興味がある
・反対に、出世をしない人というのは、自分の仕事に必要のないことに興味や関心を抱いてしまい、本業に割く時間が少ないのだそうです。
・「仕事を好きになる」ということは、常に仕事のことを考えること
確かに、趣味と仕事が一体になった志向を持っている人は、常に本業である仕事のことを考えているわけですから、その仕事で成功する可能性が非常に高まりますよね。

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自分のことは棚に上げて、この考え方は納得できます。
仕事も充実、余暇も充実、なんて考えているハンパな人間は出世しないということです。
そして、常に仕事のことばかり考えてしまうような自分に合った楽しい仕事を、「自分で」見つけなさい、という主張です。

嫌な仕事であれば、それを年中考えていたら死んでしまいますからね。。 斎藤さんはそういうことはすべて「無駄」と切り捨てているようです。

「仕事人間で何が悪いか」ということですよね。この飽食のご時世で、打ち込めるものがあるだけ幸せじゃないか、ましてはそれにより報酬をいただけるのであれば素晴らしいことではないか、と。

【雑感】
昨日の偏差値60の話は、自分にとってはよかったですね。

最近は、「偏差値60の生活」とは何だろうか、と考えます。

偏差値というものが単に学生時代の「勉強」の結果を反映するものであって、本当の「人間力」のようなものを測る尺度にならないというのは、当然のことです。
がしかし、偏差値と人間力とは反比例はしないはずです。どのような相関になるかは、よくわかりませんが、偏差値が高い人は、ある程度の「受験戦争」という状態をくぐり抜けてきている可能性があります。
人間形成においてこのアドバンテージはあると思います。偏差値教育はネガティブに捕らえられることが多いですが、この飽食のご時世に擬似「戦争」状態を経験できるというのは評価してよいと思います。

偏差値ばかり悪者にしているくせに、偏差値で数値化したほうが楽だから、他の「人間力」も加えた新指標をつくる気が結局ないのだと思います。

高校までは、自分を測る指標が偏差値しかなく、それにより自分が、受験する全高校生の中でどれぐらいのランクにいるのか、客観的に把握できたわけですが、大人になるとそのような指標がありません。就職偏差値ランキングを勝手につくっている人もいますが、あれはあまり根拠はないわけで。。

でも、高校時代に偏差値60で、上位20%ぐらいに入っていたのだとすれば、大人になってからの生活も少なくとも偏差値60でありたいなあ、と思うのですが、上位20%ぐらいの生活とは? あまり見当がつかないのです。

年収が基本の柱(高校時代でいう、テストの点数に該当)として、それに自己満足度の係数と、もし就職しているのであれば知名度(高校時代でいえば、有名大学であるか否か)の係数を掛ければ、出てきそうな気はします。知名度というのはつまり、他己満足度と同じです。「どれだけ羨ましがられる生活か」ということです。

女性の場合、主婦などをやっているのであれば、年収というよりは可処分所得ですね。その手段は問いません。結婚しているのであれば、主人の情報も「他己満足度」を測るには重要です。主婦の方は、営業を受けるほとんどの場合「ご主人は何をやられている方で?」と聞かれます。それは、主人がどのような人間かわからないとその家の水準を瞬間的に把握できないためです。


とりあえず、地方公務員(上級)で入って、ふつうに仕事しているぐらいが、偏差値60ぐらいなんでしょうかね。上場企業の管理職とか。。 自己満足度は本人にしかわかりませんが。。
公務員は年収がそれほど高くないという印象ですが、イメージとしては自己満足度は高いような気がします。という意味で地方公務員と上場企業管理職はとんとんかな、と。
独立しているのであれば、零細企業の社長とか。。 独立しているということで満足度は高そうですね。借金に追われていなければ。。

40前後で年収700〜800万、といったところでしょうかね、偏差値60は。
家あるいはマイホームを持って、子供がいて、、
なんだか典型的な家庭のようなイメージですが、典型的な家庭イコール偏差値50、というわけではなくて、今の時代はそのような典型的な家庭を構築することこそ、実は難しいのだと思います。

自分の目標は最低ラインが偏差値60ですが、自分は偏差値以上の「人間力」があったと自負しているので、当時偏差値70ぐらいだったガリ勉君に対して、「人生」という「擬似戦争状態」では負けたくないものです。
ということはとりあえず年収は軽く1000万を超えないといけませんね。

そのためには逆に考えて、「偏差値60の呪縛」からは開放されなければいけません。それは横並びの呪縛であって、そこで満足していたら上に突き抜けることはできなそうです。

今日はうまくまとまりましたね。。