元祖【ひとり公論】

誰かには必ず、ほんの少しだけでも役に立つに違いない、という意味での公論

南青山4 汚い部分を誰が引き受けるか

【外食】
[昼]
南青山4(根津美術館前の坂)の、今勢いがありそうなエスニック料理のお店(カフェ? 飲み屋?)でランチ。初参戦。
【雑感】
若奥様がトイレの掃除をしていて、「ふち」を拭いたら汚くて倒れてしまう、といったようなCMを見て、不快な気持ちになりました。メーカー等が、財布を握っている主婦の消費動向を研究して、「かゆいところに手が届く」製品をどんどん発表してゆくのは資本主義らしいと思いますが。。
自分の考えはオールドタイプだというのはわかっているので、これ以上言及はしませんが、家庭(家)を維持管理してゆくにあたり、汚い部分(物理的に「汚い」だけではありません)を誰かが引き受けなければなりません。家庭における汚い部分というのは、戦後、少しずつ減ってきており、主婦労働時間は劇的に減ってきていますが、絶対になくなるものではありません。
余暇と「快」を得るためと割り切って、どんどんメイドさんにアウトソースしてゆく、という考えのほうがよっぽど潔くて共感できます。

資本主義社会は「家庭」という存在、概念をどのような方向に導きたいと考えているのか。。ただ単に、家庭の財布の紐をゆるめる手段しか考えていないような気もします。