元祖【ひとり公論】

誰かには必ず、ほんの少しだけでも役に立つに違いない、という意味での公論

浪費を減らす、消費を減らす

古い。。ブログを始めた頃? 6年前ぐらい?
浪費を減らす、消費を減らす

ここ数年、自分の嗜好品の消費量は、極めて少なくなってきました。酒、タバコ、缶ジュースなどです。とてもよいことだと思っています。

巷のダイエットのように、手法を用いて急激に減らす、または止める、というのではなく、数年かけて少しずつ減ってきました。減らそうという強い意 志はありませんでしたが弱い意志は常にありました。

意志は弱いので、すべて、止めようとは思いません。ストレスがピークのときなど、タバコやお酒は自分にとって必要です。また、つきあいで吸ったり 飲んだりすることはあります。

以前より、嗜好品を消費することにより一定金額が浪費されていることに対して、心の奥のほうでは常に「無駄だ、何とかしたい」と思っていました。 その小さなストレスが今はほぼなくなっています。このような「小さなストレス」は他にもたくさんあり、快適な生活を送るためにこれらは何とかして つぶしてゆきたいものです。

嗜好品を減らすという若干苦痛を伴う行為のモチベーションは、自分においては「健康のため」だったと思っていたのですが、今考えるとそれは建前で あり、本当は企業側の思うとおりに消費してしまっていることへの反発だと思います。。「健康のため」というのは、実際問題、嗜好品をたしなんでい ても日々の健康状態にはそれほど影響が出ないので、やや弱いものがありました。

流行を追ってしまうことや、CMで話題になっている商品を買ってしまうことも同じです。そのような企業側のマスコミを通した策略には常に違和感を 感じており、何とかそれに乗るまいとは思っています。が、嗜好品については、その特性(中毒性?)により、まんまと策略にはまってきました。

「流行を追う」については、たとえば、マスコミの策略に乗らずに嗜好品を減らしていこう、という動きが日本の真のトレンドになってきたら、その 「流行」に反発しようとは思わないはずです。ただし、流行というものは大衆でない側が何らかの目的で(資本主義ではほとんどの場合、消費させよう という理由で)仕掛けるものなので、大衆側の自己防衛本能が大きなうねりになって、「流行」を凌駕し、新たな「流行」となってゆく、という状況は 日本では起こりにくいと思います。

タバコについては、その危険性をJT自身が認め始めたということもあり、タバコを吸うことはもはや「トレンド」ではなくなってきていますね。

健康ブームというのは、結局は何かを買えば健康になるという話なので、消費させようという動きです。真の健康というのは浪費を抑えれば実現できる と思います。が、浪費を抑えたら資本主義が成り立たなくなってしまうので、マスコミはそのようなことは伝えません。

要は、資本主義社会の中で快適に生き抜くために、あるいは満足感を得るために、真に自分のやりたいことに対して集中してお金を使いたい、というこ とです。嗜好品や、マスコミの宣伝は、それを邪魔しようとする動きなのです。浪費をしないというのは貯金をしたいということとは直接つながりませ ん。

お金についてはだいぶわかってきたのですが、「時間」についてはまだ無駄に浪費していますね。。これについてはもう少し考えてみます。