真論「世の中カネじゃない」
給料は銀行払い込みでしょ。つまり現ナマじゃなくてただの残高、つまり「数値」にすぎないわけ。
だってさ、そっからローンだの家賃光熱費だのクレジット支払だの税金年金保険。。。
25日給料日だとして27日、31日、そして翌1日にはハイエナのように引き落とされるから嗤
でもさ、それもすべて数値上の話じゃない。現金はこれっぽっちも動いてない。
さらに追い打ちをかけるように残金のほとんどはカミさんが引き落としちゃったりして嗤
という意味ではカミさんは現ナマ感を感じてるのかもしれないけど。。
もちろん俺も現金が必要なときはおろすけど、意地でも使わないほうだから。
つまり、クレジットで済ませられるときは全部それ。で領収証。
あとはsuica、Edy、nanacoの類。
これらのチャージも、現金が動いている感じがしない。つか動いてないから!
この話のオチは、わかるよね?
という意味では「世の中カネじゃない」は正しいでしょ。世の中は数値の交換で動いてんのよ。
これからの時代はもっともっとこれが進化していくから。・
俺はけっこう先取りしてるw 俺の財布ってカネ入ってないから!
でも、けっこうそれなりに生きていける。
これ、重要だよ。
そもそも客先会議には必ずたどりつく前提。それは実はすごいことなのかもしれない。
なんかいも似たようなこと書いてるけど、何度でも書く。
これを読んで救われるヒトがふたりぐらいいたら俺は幸せだ。
客先で会議があるとするじゃない。で、重要なことを客に対して発表する必要がある、と。
だから資料つくったり上司にレビューしたり想定問答をシミュレーションしたり。。
客に何いわれるだろう?キレられたらイヤだなあ、この企画は通るかなあ、とか、いろんなことを考える。
そう、かなりいろんなことを、ね。
ところが! たとえば電車でふた駅ぐらいの客先に、「当日無事たどりつけるだろうか。。」とは、誰も考えない!
誰も!
何十回もそこにいってるから!
そんなことあたりまえじゃん、なんて、思いますか? これはアタリマエのことではないのだ。
たとえば新卒のぺーぺーがはじめて客先会議に出席するときは、「当日無事たどりつけるだろうか。。」っていうパラメータは入ってくるんだよ。乗換案内で調べたりするじゃん。
逆にぺーぺーは一回目からプレゼンとかしないだろうから、まずたどりつけるだろうかとか、みだしなみとか、ちゃんと名刺交換できるかとか、そういうあたりだよね、プライオリティが高いのは。
まぁ方向音痴なヒトは、何回いってもたどりつけないかもしれないという不安が残るかもしれんがw
で話戻すと、何回も客先にいってる人間は、そこにたどりつけるだろうか、なんていう不安はみじんもないし、そして九分九厘客先にたどりつくんだよ。
大雨であっても! その重要性によってはあなたは、38.5度の熱があっても、たどりつくであろう。
で、なぜたどりつけるか? なんだけどそれは「練習」してるからだよね(笑 いや、当の本人は練習してる気なぞさらさらないんだろうけど。
練習して、かつその結果、身体がもう覚えてるわけ。どの改札を出てどっちに向かってどのビルの何回で受付して。。とか。
だから、そのレベルにまでしようよ! 自分が抱えてるたくさんのことを。
と、いうことを、いいたいの。
新入りの頃まったくできなかったことも、人間、何ヶ月、何年か経つと完全にルーティン化できる。
これって、すごいことなんだよ?
最初にかいた「資料つくったり上司にレビューしたり想定問答をシミュレーションしたり。。」も、たゆまない努力によりルーティンにしてしまえばいいの。
つまり言い方を変えると。。いっかいいっかいのプレゼンを自分の中で「イベント」にしてたら身体もたんでしょって。そのハラハラドキドキが仕事の醍醐味とか、思ってる? としたらそれは間違い。
当日、客先に間違いなく到着できる、と思っているのと同じように、そのプレゼンは間違いなく相手を納得させられる、っていうとこまで身体に落としこむんだよ。
想定問答をやっておくのすらルーティンの努力でカバーできる。客が想定外の質問してきてしどろもどろになったりいきなりキレられたりすることにビビってんだったらそこまでも想定にいれとくんだよ。
それは、ビジネスマンならば誰にでもできること!
またシャインフェルドの話
またシャインフェルドの話になってしまうのだが、
彼の「プロセス」理論を日本的に表現すると、自分が経験する苦しみ、悲しみ、不快感はすべて「受け止める」ということだよ。
これは、かなりキツいね。。
「がっぷり四つ」だよ。
「そこ」に存する負のパワーを、ぜんぶいただいちゃって正でも負でもない「パワー」に変えてしまって自分に取り込め、と。
それが難しいんだが。。わからんでもない。
でもシャインフェルドの話の根幹にあるのは、「取り戻す」という象徴的なワードであらわされるんだけどね。
その苦しみだの悲しみだのは、ぜんぶ「あなたがつくりだしたもの」であると。だから「取り戻す」。
話がこうなってくるから、ますます難しいよね。
自分のパワーでもって相対的なこの世界を作っている。いや、作り込んでいるわけ。今眼球にうつっている(らしき)この素晴らしき世界はホノグラムである、と(たとえね)。自分が想像した世界であり、そこで発生する悲しみや苦しみももともとは自分のパワーから発せられたものである、と。
これに対する今の俺の見解は「わからんでもない」。
世の中は総体的なものであるというのはほとんど納得しているから。
だって人によって世界が違うんだもん。兄弟ですら、生まれてからこれまで見てきた景色は全く!違うんだよ。
クラーク・ケントにあこがれて
もうひとりの自分?ちゅーかね。。 ウラの顔、的な?
ふだんは冴えないんだけど夜は。。みたいなね。
憧れた憧れた。それはもう、中学の頃から。
でも、ひとつ言い訳させてもらうと、中学の頃から、表の顔がそんなに冴えないわけでもなかったよw
ふつーだった。
でも、ワルくなりたかったのかなあ? 進学校だったし。
だからやたらと夜徘徊したりしてさ。。あんまり意味もないのに。
で結局こんなオッサンになってもそういう「成分」は残ってる。。
何が言いたいのかというと、こういうクラーク・ケント的な生き方を志向して(実現されたとは言い難いがw)、とてもよかったということ。
なぜなら、時代がそうなってるからさ。
だって今の世の中肩書きをふたつもってないとわたっていけないよ?
それも、振れ幅が大きければ大きいほど、おぼえてもらえるし。
いい時代になったのかもしれないね。
一生職人です、とか「不器用ですから。。」とかさ、だから何なのって感じだから。
あ、でも高倉健さんは本当は不器用じゃないよw という意味での二面性はあったか。。
サード・プレイス(シリーズのその5)
具体的に「無」や「無心」の話にいく前に、いろんなアプローチがあると思っていまして。
まずですね... 「サードプレイス」っていう言葉が、以前、私の周りでけっこう流行っていたのです。今でも巷では流行っているのかもしれませんが。
スターバックスが提唱しているコンセプト?でしたっけ。カンタンにいえば、家と職場の往復じゃなくてもう1か所、自分の場所を持ちましょうよ、みたいなことだと思います。
別にコーヒーショップである必要はないw
そしてそこは、居心地のよい場所である必要があります。まぁあたりまえのことですが。
そして、その「サードプレイス」がどのようなハコなのかとか、どこにあるのかとかではなくて、
そこにいることによるステイタスとかそういうことでもなくw
そこで何をするのか?が大事だと思っています。
あそれと、いつか書く機会があったら詳しく書きますが、諸々の条件を満たせるのであればサード・プレイスは自宅でも構わないのです。
◆
サードプレイスっていうのは(私の定義ですので、世の中的な定義とは乖離があるかもしれません)、家でも職場でもないところ、ということは、極論すれば「何もしない場所」ってことです。何も「生産」をしないところ。
スタバでこれみよがしにPCを立ち上げて(なぜかMacBookAirであることが多い)仕事してる風な方を、否定はしませんけども、そういう方にとってはスタバは「サードプレイス」ではなくただの職場の延長です。
「何もしない」ということが大事で、それが「無」と密接な関係がある!と、無理やりこじつけておきます(笑)。
後での伏線のつもり...
◆
そして「何もしない」というのと、休息とは違います。(それも私の個人的な考え方です)
何もしなくていい場所で、休息するなんて、もったいなさすぎます。休息は家ですればいい。
「何もしない」の定義でいうと、たとえば読書とかはOK。何もしてなくないじゃん!本読んどるやん!というツッコミが入りそうですが...
まぁそういうことで一旦ご容赦ください(苦笑)。
「仕事や家庭と関係のないことをする」が「何もしない」ことなんですよ、たぶん。
言い方を変えると、「仕事や家庭と関係のないこと」が、現代人にとっては「何もしない」になっちゃうんですよね、悲しいことに。
それこそが大事なのに!
何かしら自分にとって有益なことをしているにも関わらず、です。読書しかり。
◆
テレビとかネットとかゲームは...確かにそれは「何もしない」に含まれるのですが、え、それやっちゃう?という感じ。私から言わせると。そもそも時間を浪費したくないので...
とっくに人生の折返し過ぎてますから!時間ないんです!
ていうか最近のオトナって家庭に完全にテレビ、ネット、ゲームが入り込んでるじゃないですか。だからそういうのは家でがっつりやればよくって、「サードプレイス」っていうのは「デジタルデトックス」の場所でもあるべきだと思いますね。
◆
さて、「何もしない」場所、そして時間を、現代人が、確保しなければならない理由はなんでしょうか?
それは、まぁありていにいえば「明日への活力」ってことなんでしょうね。明日からもまた、バリバリと働き、バリバリ家事育児をし、家族サービスをし、そしてそれらの生産性を上げるために、「何もしない」と。
でも本当は、違うんですよ。
それだったら凡百の飲み会と同じですよね?
「何もしない」のだけれど、それは「生産」をしないというだけであって、「休息」でもないのだとすれば、何かはしているわけで。
その「何か」というのは、自分が選択するのです。マスコミやいわゆる「常識」等に惑わされることなく。
◆
自分がしたいことを、する場所、そして時間。
つまり...
サード・プレイスが「主」で、仕事や家庭が「従」なんです。実は。
ぜんぜん「サード」じゃないんです。ファーストです!(笑)
目からウロコが落ちませんでした?笑
「仕事や家庭が『従』なんです」と断定すると違和感を感じるのであれば、「従」である「べきなのです」。
それでいいのです。
ここで川平慈英さんの「イインデス!」を脳内に送り込んでください(笑)
もし違和感を感じるのだとしたら、それが正しいのかもしれない。なぜなら、それはこれからの時代に主流になる生き方だからです。
つまり必ずしも今は主流じゃないという...
これからはサード(ファースト)・プレイスを持っていない人生のほうがおかしい、と揶揄される時代になります。
◆
仕事はまだしも...家庭を「従」と考えていいのだろうか?と、思いますか?
なんか最近あからさまに家族第一主義の方が増殖してますしね...いわゆるイクメンとかイクメンとかイ(ry
仕事や家庭を「従」と考えるとはいっても、以前書いたかもしれませんが、ないがしろにしろといってるわけではありません。
どっちが明日への活力なのか?っていう話なんですよ。つまり、自分の時間を極力確保し、自分のやりたいことに対する生産性を極限にするために、家庭があり、仕事があるんです。
これもこのシリーズで最初にぶち上げた「劇的なパラダイムシフト」のひとつです。
1日の25時間化
「スマホだらだら見時代」だからこそ、意識的な時間の捻出、1日の「25時間化」は絶対に必要になってくる。
これは、スキルだよ。
案件と一緒で、日常の雑事をパラレルに進めるのは、あたりまえ。
ただし!ホントにパラで進めちゃうんじゃないよ。それは、愚かだよ。とある時間内に、あることを集中してやる時間と別のあることを集中してやる時間と、切れ目なくやるということ。で、時間を半分に圧縮しちゃうの。
なんかやってだらっとやすんでまた別のことやって、でかかる時間の半分にしちゃうわけ。
集中を切らさずやれば、できるよ。
そうそう、あのね、休憩ってあんまり頻繁にいれないほうがいいよ。
なぜなら、夜にバタンキューして、熟睡したほうがいいんだ。
昼に、だらだらすごすから、夜更かしして、眠れなくて、結局熟睡もできず、翌朝も起きるのグズって(いいオトナが!)。。
まったく、いいことない。
あのね、昼、フルスロットルで生きるなんて、カンタンだよ?身体を慣らせばいいの。
フルスロットルでいきてバタンキューすれば、熟睡できるし、好循環がうまれる。
あ、でも、15分ぐらい昼寝するのはいいらしいんだけどねえ。。15分できりっと起きれれば、なんだけど。。
だから俺は、朝風呂をすすめるんだけどね。夜風呂はいっちゃうとどうしてもバタンキューにならんのよね。
身体の汚れが気になるんだったら、手はカンペキにあらって、あとは長めのシャワー。石鹸使わず。頭も洗わず。それは朝。
夕食すらいらない。なんでもいいから軽くすます。
つまり、夜のタスクを減らしていって、睡眠を前倒しにする。
あそうそう、そんなことより仕事だよねえ。仕事を生産性上げて1時間効率化すれば、結果的に論理的な1日の時間は26時間になるよ。いやマジで。
アホな人って(失礼)仕事効率化してまた仕事いれちゃうんだよね。意味ねーじゃん!
そんなに何かいれたくてしょうがないんだったら、未来の仕事のタネを撒きなさいよ。将来への投資だよ。
仕事効率化して、その空いた時間で他人の尻拭いしてどうすんのって。断れ!
「小損を取る」(10)実践編その2:ゴミ拾い
引き続き「ゴミ拾い」について書きます。
「ゴミ拾い」はあくまでひとつのたとえでして、アラフォー過ぎたらなんでもいいから、どんなときでも優先度高く行う「善行」をひとつかふたつ、持ちましょうよ、ということです。
照れずにやればいいと思うんですよね。そして、こっそり。SNS等でアピールする必要なぞはまったくないです。
そして、そういうことをやろう!と決意するとなぜかその遂行を妨げる事象が起こるので(苦笑)、それに対する対策(?)などを前回から続けて書いていきます。
◆
大事なのは、ゴミが目についてしまったら、何もせず目をそらしてはいけないということ。
みなかったことにしてはいけないのです。
拾うと決めたのに「みないふり」が続くと、自分が自分に対して信頼をなくしちゃいますからね。信頼のおけない自分と同居する(?という表現が正しいのかわかりませんが)というのはけっこうキツいものです。
◆
それと、ふっと目につくものをスルーせず、一旦意識するのってとても大事な訓練だと思っていて…イメージとしては「フックする」感じでしょうかね。「ん?なんで自分はあれに目がいったんだろう?」と、まず考える。結論は、その場では出さなくともよいです。「フック」さえしておけば。
ある日突然、フックしていたモノたちがつながってチャンスをするするっと引き寄せたりします。
◆
ただ、このゴミ拾いのたとえでいえば、目につくものをフックするだけでは足らなくて、
ゴミがふっと目につく→どんな状況下でも即対応(反射的に)
を繰り返すことで、これがビジネスにおける鍛錬にもなります。なかなか地味~にキツい鍛錬ですよこれは(笑)。
野球選手における「素振り」?違うか、アスリートにおける腹筋みたいなものでしょうか。
◆
なぜこれがビジネスの役に立つか? は、続けてみればわかります。これがいかに大事かは。
ゆるーく、やれるときだけやる、ではわからないと思いますけど…
ビジネスで人の上に立つような方々はみーんな、このような類の鍛錬を続けている人間、ビジネスにおける基礎体力ができている人間、この例でいえば「どんな状況下でも即対応(反射的に)」できる人材がのどから手が出るぐらい欲しいのです。
なので、引く手あまたになる可能性が非常に高まります。
ゴミを拾い続けていると(ビジネスの)基礎体力がついて、ゴミを拾うというシチュエーションだけでなく、いろんなところで「即対応(反射的に)」できる人間になっちゃうんです。不思議ですね…
SEは残念!なことに習性としては真逆なので(時代遅れの職人気質を好む傾向が強く、アタマを下げられてはじめて「しょうがねえなやってやるか」と重い腰を上げる、いうシチュエーションにもっていきたがるため、即対応することができない)、これができる人は良い意味でものすごく目立ちます。
※なので、嫉妬されて足を引っ張られないように注意する必要もありますね
もちろん、即決断を求められる経営層も(そこを目指す人たちも)、これが必須スキルであることは論を俟ちません。
◆
前回書いた菊池選手のインタビューのとおり、急いでいたり「そういう気分じゃない」ときに限ってゴミが目に入ってきます。ビジネスでも日常でも「なんでオレが(アタシが)やらなきゃいけないんだ」「この忙しいときに」と感じることがよくありますが、そういう思いが立ちあがってきたときこそが実はチャンス(?)です。
それががっつり1時間かかるタスクなのであれば回避すべきかもしれません。ケースバイケースなので一旦考える必要があります。が、"a few minutes"なのであれば淡々と時間を差し出すことです。このわずかな時間を差し出すのも小損です。
そして、「いずれ誰かがやってくれるであろうことをあえて自分がやる」という行為については…正しいとは思いますが注意が必要ですね。なぜなら、そういう自分に酔ってしまって、正常な判断ができなくなる可能性がありますので。
◆
いずれ誰かがやってくれるであろうこと、は星の数ほどありますが、そもそもいずれ誰かがやるのですから優先順位は最初から高くない。にも拘わらず、myルールとして設定していることについては、きっちりやらなければなりません。
逆にいえばmyルールとして設定していないことについては、ほぼスルーでよいかもしれませんね。頼まれてしまうと、致し方ないこともあるのですが…
頼まれて意気に感じるのは、最初はかまいません。ただ、本来自分がやらなくてもよかったタスクにがっつり1日とか半日とか使ってしまうとそれは小損ではなく「大損」(またの名を「犠牲」)になり、かつ周りにナメられる(あ、やってくれるんだとどんどん丸投げされる)ので、あえて自分がやるのは結構なのですがやはり"a few minutes"でやれること限定にしたいところです。
"a few minutes"で済むことであればどんどん周りのサポートをすべきだと思います。
ただし"a few minutes"で済むはずだったのにどんどん時間が膨らんでしまって… というケースが多々ありますので、最初の時間の見積もり、精査は大事ですね。
あるいは別なソリューションとして、時間が経ったら空気読まずにすぱっとやめる、相手に自分の時間をコントロールされない、という手法もあります。
こういうこと、つまり、自分の生活の局面局面でタスクにかかる時間の見積もりをしてかつタスクも遂行し、予実管理(想定していた時間どおりにできたか否か)を繰り返していると、プロジェクトマネージメントが上手になりますよ。
他人のタスクであっても工数や納期に思いが至るようになってきます。PM本読んで資格試験の勉強しているだけではダメでしょうね…
◆
SE含めたサラリーマンの方は"a few minutes"を躊躇なく差し出すのが難しいみたいですね。なんかいつも忙しい忙しい言ってますし(ホントだろうか?)。
忙しいときこそ何をやるかの精査が必要なのに、「やる」と決めたことですら"a few minutes"を惜しみなく差し出せないという… だから、やると決めたことを続けられない(イコール、"a few minutes"を差し出せない)人は、時間配分の優先順位づけが間違ってるんでしょうね。たぶんスマホとゲームに大量の時間を貢いでいたりするのでしょう(苦笑)。
◆
さて、ひとつのたとえですが、客先の重要な会議に行くのに小走りで移動していて、これを逃したらアウト!という電車に乗れるかどうかギリギリ!といった瀬戸際のところでバカ正直にmyルールに"a few minutes"を差し出したら遅刻してしまった、と。
先方にイヤミをいわれ、上司にはオコられ…で後で独り勝手にブチ切れて、もうやめた!となる。
こういう方、多いんですけど…
あのー、そもそもビジネスマンの基本スペックとして、常に、10分ぐらい時間に余裕をもっておく、ということなんです。これ、ビジネスマンのもっと基本的な小損("a few minutes")なんですね実は。
この小損をデフォルトでとっている人(新入社員の頃から)は、成功してるかどうかはわかりませんがつつがなくビジネス・シーンを泳いでいってるはずです(現在進行形で)。
たったこれだけで!
時間に余裕を持った行動というのはビジネスマンの基本スキルであって新入社員のとき叩き込まれる、はずなんですがどうも… IT業界はメンターが最初っから時間にルーズなことが多いので、後輩もマネしちゃうんですよねー…
自分のルールとビジネスとは対立軸にあるわけじゃないのです。自分のルールは、それが善行なのであれば必ずやビジネスで役に立つのです。