元祖【ひとり公論】

誰かには必ず、ほんの少しだけでも役に立つに違いない、という意味での公論

肝心なときに、助けてもらう

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自分はだれにも助けてもらわないというのが基本、という信条で生きてきたから、子供らには、いざというときに大勢の人たち、あるいはその中の「主要な人」に支援してもらえるような「器」になってほしい。

オレが、だれにも助けてもらわないのが基本、という生き方になってしまったのは、まあしょうがない。そうなってしまったものは。
オレの人生には孤独な時間がけっこう多いかわりに、相当「自由」であり、結局そういう人生を自分が望んだからそうなっただけのことで。子供がそういう境遇を望むとは限らない。そして、オレが成し遂げられることというのは、オレ一人でやろうとするわけだからたかがしれてる。そんなに大きなことは成し遂げられないし、それはそれでいいと思っている。でも、子供らは、仲間とともにもっともっと大きなことをやれるかもしれない、やれるような気がする。

つまりオレの場合ひとりでやれることを極大化しようというアプローチなのね。オレが凡人の1.8倍のことをやろうと四苦八苦してるうちにとなりの人はもうひとりつれてきてほれ、簡単に2倍のことできるじゃん、といわれたら別にぐうのねもでないし、はあ、そうですねで終わり。

複数人を束ねる器ではないが、子供は複数人を束ねられる器をもっているような気がするんだよなあ、親バカだけど

冬の朝風呂

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冬にね、朝、パジャマにパーカーはおるぐらいにして、ばっとベランダに出ちゃうのよ。

でまあ、軽くストレッチでもしてさ。


でね、身体が芯まで冷えたぐらいで、満を持して風呂に入る。
風呂にはタイマーがある前提。朝一でやや熱めの風呂に入れるようにしておく。

うちの風呂にはタイマーなんざねーよ!とかそういうドヤ顔知らんから。だったらなんとかしとけよって話。


で、風呂に入り。。寒いからってドボーン!と入るんじゃないんだよ。静かに、ジョジョに入る。
そして、瞑想。リアルに、本気で、なんて自分は幸せなんだろう? って、感じられるから。
それも、毎日感じることができる。

家族がいる方であれば絶対、家族より早く起きて、やるんだよ。
静かな環境でないと瞑想は意味ねーからな。

あ、そうそう、風呂は電気消しといたほうがいいな、瞑想するんだから。

大事なのはね、まあ、瞑想はじめると1分でいろいろ雑念が入ってくるけど、最初はそれでいいのよ。
最初に必ず!なんて今の自分は幸せなんだろう。。と、自動的に思うこと。


以上、ぐだぐだ反論する前にやってみろって。家族より20分程度早く起きりゃできんだから。
あーだこーだやらない理由つけてやらないやつは、もう知らんよ。

これで!これだけで! 人生変わるんだからよ。

独りトヨタ式

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独りトヨタ方式プレイやってんのよ。ここ7~8年。
日々自分の生活習慣をカイゼンしてんの。

ちょー微調整ね。

たとえばモノの置き場を変えるとかね。そういうの大事。

窓ガラス曇ってたらささっとふくとかね。5秒かかんない。
そういうのも大事。

どーしても急いでいるときはメモ帳や付箋に書いて週末にやる。
これ、大事。

カイゼンタスクではなくて、検討課題とかだったら、自分にメールを出しておく。
で、作業に落としこむ。

この積み重ねで、今のオレがある。
ビジネスでやってることとなんら、変わらん。だってオレ自身が商品だからねえ。。
俺自身がオレ自身をブラッシュアップさせていかないと。。誰もやってくれないし。
時代に取り残されて家族ともども路頭に迷う。


ただし!周りはこの微差の積み重ねでオレがどんだけ変わってきてるかなんて、わからない。

だから別にわかろうとしてもらわなくともよい。

でもなんとなく周りの人間はオレが、「なんか変わったな」と思っているふしがある。
それはなんとなく感じる。なんか「しめしめ」と思うw

手間をかけるんだよ。

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成功の法則と幸福になる法則とで、実はイコールのようにみえて相容れない部分がある、というのは、プチ成功されている方はすごーくよくわかってると思う。。

そのへんはおいおい書きたいと思うけど、絶対にどちらにもかかってくると確信しているのが。。

(これ、重要ですよ!)

「手間をかける」ということ。

もっというと「ひと手間かける」ということ。

これが斎藤一人さんのいうところの「微差力」の要諦なんだよ。

手間っていうのはかけなくていいところとかけなければいけないところがあって、このセレクトが、いろんな方が書いてるところの「選択と集中」ってやつ。

「選択」のセンスは自分にゆだねられているのだが、このセンスを磨く方法はある。それは、言葉でいうのは簡単だが「正々堂々と生きる」ということ。

天風さんのいうところの「積極精神」と同じ(だと俺は思ってる)。

正々堂々と生きる「だけで」なぜか人生において選択すべき事案がわかってくる。もちろんそれは人によってちがう。なぜなら人にはそれぞれ(正しい意味での)「個性」があるから。

イメージとしては正々堂々と生きることにより自分の内面の「アイ」("eye”)が曇っているのが、磨かれてきて、正しいものを正しくみれるようになるわけ。


でね、一方で現代人は時間がないわけさ。
という意味でも手間をかける事案を選択するのは大事なんだが、さらに!

(これも重要!)

「手間を効率化する」のよ。

ビジネスライクにいえば品質を上げるということ。
同じ時間で、生産性を上げる。

たとえば「ひと手間」なんてさ、長くて数分でしょ。この数分にある意味命をかけるというかね。

あ、もちろん、時間を短縮するっていうのも重要なファクターとしてあるのね。1日24時間しかないのは自明だから。

でもね、たとえば極力効率化、品質向上の努力をすることにより、4分の「手間」が、他人でいうところの30分の「作業」に該当するぐらいに、なっちゃうわけよ。

そしたらさあ、それを年単位で続けていったらそれはそれはオソロしいことになる(良い意味で、ね)。

ビジネス・シーンでもプライベートでもどちらでも、選択した後に「ひと手間かける」。
プライベートで始めてみてそれをビジネスで応用するもよし、逆もよし。

とりあえず、やってみるというか意識してみて損はない。いや、得しかない


あー、また重要なこと書いたぞ。ピンときた方、やってみて!
少しずつ少しずつ人生変わっていくから。であるとき「思えば遠くへきたもんだ」と気づく。

オトナは成熟で勝負

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男性として、オスとしてwの成熟を目指してるわけさ。とっくに若くないし。若さを武器にできないのだから、自然とそういう考えになるわな。

いや、ならない人が多いらしいのが不思議。オレはムキになって若いひとたちとはりあおうとしてるわけw 大人げないww

その「はりあおう」の手段をね、アタマを使おう、と。
いや、アタマだけじゃなくて。たとえば、オレらは若い人たちよりオシャレにはなりうるよね。カネをもってる場合が多いんだから、カネかけられるよね。

おいしい店とか洒落た店とかも知ってるはずだよね。

まあもっとも大事なのは「成熟」という意味では脳だよ。絶対的に若い人たちと比べての優位性は。

大卒の若手くんはあったまいいのかもしれないけど脳は成熟してないさ。それは、人生経験を積んでないから。

いろんなことを知ってる。。の意味合いは、「単語」という意味では若い人たちのほうが知ってるんでしょう。オレらなんてさ、ガキの頃暗記してことなんざほとんど抜けたよね(苦笑)、脳から。

でも!オレは若い人たちより「いろんなことを知ってる」確信がある。


まあ脳の話はいいや。成熟してるのは明らかなんだから。

身体だよ、ケアすべきは。これはごくごく当然のことなんだけど、我々は若い世代よりも身体を意識的にケアしてあげなかければならない。
昔はやった言葉でいえば、「アンチ・エイジング」の努力は必須なのよ。

でもさ、自然でいいんだよ。とにかく小太りにならなきゃ、腹が出なきゃいいんだと思うよ。あとは軽く運動して、さ。そのぐらい。

とにかく言い訳をしないこと。言い訳するオトナは見苦しい。退場してよし。

スマホが受け入れられるのは必然。

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若い子から年寄りまで、みーんな、会話が途切れて手持無沙汰になるのがコワかったのかなって。
だから、スマホが広く受け入れられたのかなって。

今、子供から大人まで、集まって、集まるは集まるけどみんな個別にスマホとかゲームとかにらめっこでさ、互いが互いを許容してるじゃない。
オレなんかはちょっと無礼かな、なんて思うけど、自分がそうだから周りを許すじゃん。

だから、人が集まるとき、「会話」が従になってきてるわけ。「主」は個々が画面とにらめっこ。でたまに会話する。
現代人はそれでいいんだと思うんだよ。オレは。

もはや現代人は沈黙には耐えられない。あ、思い出した。とうの昔に、現代人はテレビにどっぷりになってしまっていて、沈黙には耐えられなくなっているのだった。

しかしテレビは外には持ち出せない。持ち出せるのであればテレビでもなんでもよかったのかもしれない。
まあ端的にいえば「ヒマつぶし」なんだろうけども。

ヴィジョン

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どういう人間になりたい、とかね、そういうビジョンがもしあったとしても(

あるだけマシだが)、それは今の自分の延長線上にしかないわけだからね。

 

つまりね、突然変異で「スバラシイ」自分に変身する可能性なぞ、250%な

いんだよ!

 

だからね、今、この瞬間からそのビジョンに向かって邁進するっきゃないんだ

って。

もし、本気でそうなりたいんだったらね。

 

でさ、今、そのビジョンどおりの人間になっていないわけだから(アタリマエ

だよな)。そのビジョンに向かうべく、努力のベクトルの方向性を、アジャス

トしなければならないわけね。

 

だってね、ムダな努力はしたくないじゃん。

 

で、ひとつの手段として、そのビジョンどおりになってる自分を想像して、そ

ういう自分のマネをする、つまり、なりきってみる、っていうのは、相当有効

な手段だと思うのね。

 

いや、絶対必要かもしれない。

 

たとえば年収2千万の自分を想定してるんだったら、年収2千万になった頃の

自分はまさかすき家で牛丼は食ってねえだろうな、だったら残業飯で牛丼喰う

のはやめとくか、とかね。そんなレベルの積み重ねでいいんだよ。

 

 

それともうひとつ、よく言われる考え方としては、将来のビジョンが完全に明

確であれば、実は今、この瞬間にやるべきことは、無意識のうちにセットされ

ている、っていうのも、「なくはない」と思う。

つまり。。これはかなり楽観的な論であってね、今自分がどんな行動を起こし

たとしてもそれは無意識的には将来につながっている、というね。

だからこそ、ビジョンを明確化するほうが先なんだよね。

 

オレの考え方としてはね、意識的に「楽(ラク)」な方向を選ばない、ような

自分まで磨きあげたとしたならば、それはもう、将来はセットされているので

はないか、と。自分は気づいていないけれど。

そしてその将来というのは、「悪くはない」ということ。ラクな方向を選ばず

に進んでいく人間に、悪い未来が待ってるわけがないのよ。

 

逆にいうと、30代、40代にもなって常に、ラクなほうラクなほうへ進もう

とするライフ・スタイルであるならば、そういう人間の将来はゼツボウ的であ

る、ということ。

それだけは、間違いないんだなこれが。