元祖【ひとり公論】

誰かには必ず、ほんの少しだけでも役に立つに違いない、という意味での公論

肝心なときに、助けてもらう

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自分はだれにも助けてもらわないというのが基本、という信条で生きてきたから、子供らには、いざというときに大勢の人たち、あるいはその中の「主要な人」に支援してもらえるような「器」になってほしい。

オレが、だれにも助けてもらわないのが基本、という生き方になってしまったのは、まあしょうがない。そうなってしまったものは。
オレの人生には孤独な時間がけっこう多いかわりに、相当「自由」であり、結局そういう人生を自分が望んだからそうなっただけのことで。子供がそういう境遇を望むとは限らない。そして、オレが成し遂げられることというのは、オレ一人でやろうとするわけだからたかがしれてる。そんなに大きなことは成し遂げられないし、それはそれでいいと思っている。でも、子供らは、仲間とともにもっともっと大きなことをやれるかもしれない、やれるような気がする。

つまりオレの場合ひとりでやれることを極大化しようというアプローチなのね。オレが凡人の1.8倍のことをやろうと四苦八苦してるうちにとなりの人はもうひとりつれてきてほれ、簡単に2倍のことできるじゃん、といわれたら別にぐうのねもでないし、はあ、そうですねで終わり。

複数人を束ねる器ではないが、子供は複数人を束ねられる器をもっているような気がするんだよなあ、親バカだけど