自分大好き!
もうね、自分大好きなんですよ。
なぜなら、毎日一生懸命がんばってるからですよ。
自分を好きになりたいんだったらそれにふさわしい人間になればいいんですよ。
結果として立派な人間になれといってるわけじゃないんですよ。だって、もしそうだとしたら結果が出るまで自分を好きになれないってことでしょ。
そうじゃなくて「過程を大事にする自分」(家庭?)を好きになることなんですよ。世の中ってのは世知辛いから結果でしか人を見ない、けど、せめて自分だけは、がんばってる過程の自分を好きになることです。
ま、過程をがんばってるだけじゃ成功はできないかもしれない、けど、実は、成功するために必要なのは、今書いたようにがんばっている自分であれば好きになり、そして、そんな自分ととことんまでに付き合う覚悟を持ち、実際付き合うことです。
そうすりゃ成功の確率がぐんと上がりますよ。なぜなら、以前どこかに書いたかもしれないけど、成功のmy定義が変わってくるからです。
my定義がカスタマイズされて自分仕様になってくるんです。イメージでいえば「成功がこっちに近づいてくる」ということになるでしょう。
まぁ100%じゃないですけどね。100%により近づけるためには。。それを書き出すと長くなるからやめますが、運を自分に引き寄せないといけないですからね。
だから、自分の人生なのに、過程すらがんばれない人間ははなっからダメってことですよ。スタートラインにすら、立てないの。宝くじとかさ、棚ボタを待つ人生になった時点で終了~ですよ。
そして、もっとヒドい、サイアクなのは、過程すらがんばれない自分を愛してしまうことだな。
そういう間違った自己愛こそが「ナルシスト」と呼ばれてしまうのだ。
未婚のひとたち、働きまくって!
オレの持論は、とにかく未婚のヒトたち働きまくって! 特に親元にいるヒトたち! あんたらがいちばん無理きくんだよ。働けんだよ。
朝起きて仕事いって帰ってきて風呂入って寝るだけ、っていう生活が可能なんだよ。
つまりあなた方に日本経済支えてほしいわけ。でっかくいうとね。
次は結婚していて子供がいない夫婦!あなた方にはバリバリ働いてほしいのはもちろん、カネ使って!使いまくって日本経済を活性化させてくれ!切にお願いする。
働くのはデフォ。あなた方もかなり融通がきく。死ぬほど働くというのはしなくていいけど、働いて、アソんで、人生楽しんでくれ!その結果として経済が活性化すればそれでよい。
それとね、フルタイムで働く、子供のいるママに経済背負わすのは酷だよ。
そしてそれと同じぐらい、複数の子供を育てているパパも、職場ではそれほどキツくない仕事にアサインすべきなんだよな。そういうのが法制化されないかな。
日本の未来の宝を育てるためなんだよ。パパさんが家に戻らないとダメなんだ、ホントに。
「電力と私」
ここでこっそりと問題提起をさせていただきますが、この国の情報通信産業というのは原子力発電技術の進化と東電の電力供給量の増加がなければ決してここまで発達しなかったのではないですか。我々は十二分に原子力行政の恩恵を受けてきたのではないですか。情報通信産業の黎明期とこの国が原子力発電へシフトした時期というのは奇妙に符合しませんか。(これは推測です ほぼてきとうにいってます)
日本の通信のブロードバンド化は、原子力発電のおかげで日本の隅々への電力供給が空気のようなものになってきてはじめて実現し得たものではなかったですか。
我々が創出している(つもりの)「システム」というのはサーバの電源をOFFってしまえばすべてブラックアウトされてしまうぐらいの儚いしろものではないですか。ソースコードを媒体で納品してもそれを表示させ、実行するのに電気が必要です。そして納品ドキュメント(完成図書)だけでは絶対に、システムは動きませんので。
ざっくりいってしまえば我々がおまんま食っていけるのはここ20年ばかし電力が安定供給されてきたから(その遠因に原子力発電所の増加)ということですよね。
さて、私たちがつくって、維持している電気じかけの「システム」というのはいったい、何なのでしょう? それはもしかしたら、無機質で寒々としたサーバルームに整然とマウントされ、うなりをあげているサーバそのものなのかもしれませんね。特に私個人はインフラ屋ですので。。
だからこそ、今こそ、劇的なパラダイム・シフトが求められているように思うのです。業界そのものに対しても、業界に棲息する私たち個々に対しても。
そのパラダイム・シフトについてはエンジニアライフのほうで、「健康」というキーワードを軸に議論を展開してゆくつもりでおります。すぐに結論が出る話ではないので少しずつ。。
地震の1ヶ月前からエンジニアライフの連載を始めさせていただけたというご縁、僭越ながら自分のテーマ(いってみれば「パラダイム・シフト」そのものです)について述べさせていただける機会を得たという事実は、その1ヶ月が助走期間であったと勝手に解釈すれば、私にとっては非常に運命的なものであったと感じざるを得ませんでした。(後付けかつこじつけだということは重々承知しておりますが、僕はそう解釈することとしました)
洗脳(医療)
身体に異変を感じたら、まず医者にいったほうが、とか、風邪をひいたらすぐ薬飲めとか。。
そういうの全部洗脳だから。
なんでそんなに、自分の身体についてアウトソーシングするかねえ。
ホントは、まずは、自分の生活習慣をあらためること。そうすりゃ、そういう変調はほとんど起こらない。
とはいえ風邪は、ひくだろふつうに。風邪のときは風邪に身をまかす。大丈夫、風邪ぐらいで死なないから。でも断言はできないな。生活習慣くずれまくってるヤツが風邪をひいて、放置してたら死ぬかもしれん。風邪っていうのはリトマス試験紙になりうる。
風邪のときは自分(意識上の)の代わりに身体が風邪と闘ってくれているのだから、委ねるべき。
身体とじっくり対話するクセを、つけておかなければならないんだ。身体に対して「どうしたの?」とといかける。(心のなかでな! 口に出すと変人とおもわれる)
身体と会話しただけで治ったりするんだぜ。ホントだよ。身体が、話を聞いてほしかっただけかもしれないんだ。
あ、これも、生活習慣がそれなりに整っている前提なんだけど。。
身体に異物をいれすぎて(ジャンクフードとか)異変が起きているのであれば、病院にいったほうがいいかも。それは西洋医学の領域だから。その異変は西洋医学が得意とする領域だから。
ところで、外傷はまったく別よ。骨折だの捻挫だの怪我だの。そういうのは即医者。それはあたりまえ。
そんなんじゃ幸せになれないよ。ふつうわかるじゃん。
スーパーで1円でも安く上げようと目をギラつかせてるオバちゃんは死ぬまで幸せにはなれない。
電車に乗り込んだ瞬間眼の色を変えて、小走りに席を取りにゆくオバちゃんも同じ。
そんなの、わかんない? オトナなんだから。1円安く買い物したり席に座れたりした時点で運使っちゃってんだから。
じゃあどうすればいいかって? 知らないの?
質素で生きりゃいいんだよ。
特売に群がるヤツは、安く上げようとしながら実は質素な暮しを志向してない。
だから、安くなったら買う。
この違いわかる?
安くなったら買うっていうのはもともと高いものを安く買うってことでしょ。
もともと安価なものは選ばないってことだ。(考え方の話ね)
デフォルトで安価なものを選ぶことこそが質素な暮しなんだよ。
それを志向することができれば、別に世の中で目をギラギラさせることもない。
「アタシばっか損してる(んじゃ?)」っていう妄想がなくなるから。それが大事なんだよ。
アンタは、損してるよ、ギラギラしてる時点で。大損してる。
わかるかな~
いろいろな、得を取ろうとする動きを止めてゆくことだ。
夢の塾(長文)
塾って進路指導してくれるじゃない。上の学校の情報なんてそれが商売だから、なまじっか学校より持ってる。
つまり勉強と進路指導の二本立てなわけ。どういうことかというと「道標」までも示してくれるわけさ。
だからこそ親は高いカネ払うわけさ。
んでさ「夢の塾」について書いてみたいんだけど。。とりあえず書きたいだけでね。
まずどうしても自己啓発セミナー系批判にいっちゃうんだけどね。
塾ってのはいい学校にいきたい、っていうヤツと、まあとりあえず友達いってるし、的な?ヤツと、あとは親が、塾にさえいかしときゃ強制的に勉強すんだろっていう楽観予測のもとに通わせたり。。まあ動機は様々でね。
んで、自己啓発系もそうなんだが最近だとアフィリエイトのセミナーとか? とにかくバカ高いヤツ。10万はザラっていう。
ああいうのの目的は、「金持ちになりたい」か「幸せになりたい」か、二分されるのね。
オレガキの頃、たぶん何回か書いてると思うんだけど、夢が「なかった」に近いのね。つまり。。オレらの時代の、ガキがオトナに聞かれる夢ってまんま職業だったのよ。わかりやすいのはプロ野球選手。そして医者。
オレの夢って、すっごくほんわかした感じで、職業ではゼッタイになかった。でも周りにあわせてプロ野球選手とか答えてたけど。
それって今考えると「ハラスメント」だよなあ? だって何かしらの「職業」というかたちで夢を回答しないとオトナが納得しねーんだもん。
夢はありませんとか言うと怒り出したりして。。今考えるとオトナってバカだよなあ? 夢がないガキのマインドを許容できねんだから。オトナとして恥ずかしいよなあ?
でね、オレの夢はオトナになってわかったんだけど「幸せになりたい」だったに違いないのね。で、結局のところ誰にも明かさずに、ヒッシこいて幸せになるために邁進してきたわけ。
でね。。良くも悪くも「これだったのね」と。これが限界っていうか。。
ここから、話はちょっとムズカしいよw
ガキのころのオレの「幸せになりたい」の形は、すごくほんわかとしていた、ということは言い方をかえればはっきりした形になっていなかったということなの。
で、40もとうに過ぎ、今もオレは生きている。家族もいて、家内とは頻繁に口喧嘩するけどつきつ離れつ、離婚することもなく(うちの親は離婚してる)、子供らはちょこちょこいろんなことがあるが大病もせず(オレはけっこう大きい病気をして、親に心配と迷惑をかけた)。。
金銭的余裕はほぼないwが、質素に暮し。。
っていうことでまさにオレがガキのころ具体的に思い浮かべられなかったことがこれなんだよ。
ガキのころ具体的に思い浮かべられなかったっていうことは、それを具体化するのを避けていたっていう側面もあるのね。否定はしないんだが。。
つまりね、プロ野球選手とか医者ってけっこう華々しいじゃない。それに対して「質素で大過ない家庭を持つ」(当時こんなボキャはなかったけどなw)なんて、「夢」としてセットしていいのだろうか。。とね。
ま当時のトレンドとしての「男子たるもの!」みたいなさ。そういうバイアスも多分にあったし。
あ、そうそう、本論に戻すとさ。
小学校高学年からハタチぐらいまでの子らに、幸せになりたいのかい?具体的にはどうしていったらいい? みたいな感じで導く塾ってないのかね、みたいな。
いきなりだけど孫正義さんみたいな成功者じゃなくて市井のね、すでにほんわかした幸せをゲットしているヒトたちに、ご指南いただけないでしょうか?っていう。
そういうヒトって、たくさんいそうであんまりいないと思うよ。
具体的にいうと、家族で毎日必ず夕餉か朝餉を囲めること。そしてその食卓には笑いがあふれていること。その食卓にはテレビやスマホやPCの類は持ち込まれていないこと。
それを継続的に、少なくとも10年以上、続けられているヒトはその「夢の塾」で教える資格があるんだ。
家庭を顧みず奥さんに育児教育をまかせている熱血サラリーマンなぞ論外。
そういう「夢の塾」が実現できればなあ、って思う。
あ! 塾なんてかたっくるしい形式やめて、その夕餉におじゃますればいいんじゃん! そうか!
同じ家に連続、じゃなくて、まわればいいんだよ。
それだけ。それだけで、「こういうことか!」ってわかると思うんだ、子供って