元祖【ひとり公論】

誰かには必ず、ほんの少しだけでも役に立つに違いない、という意味での公論

「電力と私」

stevengerrard.hatenablog.com

ここでこっそりと問題提起をさせていただきますが、この国の情報通信産業というのは原子力発電技術の進化と東電の電力供給量の増加がなければ決してここまで発達しなかったのではないですか。我々は十二分に原子力行政の恩恵を受けてきたのではないですか。情報通信産業の黎明期とこの国が原子力発電へシフトした時期というのは奇妙に符合しませんか。(これは推測です ほぼてきとうにいってます)

日本の通信のブロードバンド化は、原子力発電のおかげで日本の隅々への電力供給が空気のようなものになってきてはじめて実現し得たものではなかったですか。

我々が創出している(つもりの)「システム」というのはサーバの電源をOFFってしまえばすべてブラックアウトされてしまうぐらいの儚いしろものではないですか。ソースコードを媒体で納品してもそれを表示させ、実行するのに電気が必要です。そして納品ドキュメント(完成図書)だけでは絶対に、システムは動きませんので。

ざっくりいってしまえば我々がおまんま食っていけるのはここ20年ばかし電力が安定供給されてきたから(その遠因に原子力発電所の増加)ということですよね。



さて、私たちがつくって、維持している電気じかけの「システム」というのはいったい、何なのでしょう? それはもしかしたら、無機質で寒々としたサーバルームに整然とマウントされ、うなりをあげているサーバそのものなのかもしれませんね。特に私個人はインフラ屋ですので。。



だからこそ、今こそ、劇的なパラダイム・シフトが求められているように思うのです。業界そのものに対しても、業界に棲息する私たち個々に対しても。

そのパラダイム・シフトについてはエンジニアライフのほうで、「健康」というキーワードを軸に議論を展開してゆくつもりでおります。すぐに結論が出る話ではないので少しずつ。。

地震の1ヶ月前からエンジニアライフの連載を始めさせていただけたというご縁、僭越ながら自分のテーマ(いってみれば「パラダイム・シフト」そのものです)について述べさせていただける機会を得たという事実は、その1ヶ月が助走期間であったと勝手に解釈すれば、私にとっては非常に運命的なものであったと感じざるを得ませんでした。(後付けかつこじつけだということは重々承知しておりますが、僕はそう解釈することとしました)