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元祖【ひとり公論】

誰かには必ず、ほんの少しだけでも役に立つに違いない、という意味での公論

現代は仕事が「楽しく」なってきている

blog.goo.ne.jp

ほとんど誰も指摘していないが現代は仕事が「楽しく」なってきている。

こんだけ自殺者が増えているにもかかわらず、だ。


仕事は「楽」にもなってきている。なぜなら肉体労働や単調労働から人間を解放する方向へ向かっているからだ。

いや別にね、肉体労働や単調労働は、残りますから。絶滅などしません。
でも労働が苦役である時代なんぞとうに終っている。人間はいかに工夫して、労働を楽にしてカネをたんまりいただくかについて、死ぬ気で考えてきたから、その成果はじわりじわりと出てきている。

それがまあ、余計な歪みを発生させていたりはするんだが。

逆に考えれば、世の中の「仕事」とよばれる労働が楽しく、楽になってきたからこそ人間は鈍感になって超・長時間労働しちゃたりするんだろ。
あるいは「させられる」というか。
底辺層でIT土方稼業を長くやっているオイラは、そう思う。


ところでさ、外でやる仕事が「楽しく」「楽に」なってきたせいで、いわゆる「家事労働」との差がいちじるしくついてきてしまった。

大卒の専業主婦は100%「社会」に戻ろうとする。主婦労働では自分を活かせないと思うから。まぁその気持ちは、わかるよ。

でもその話は今日はしない。
一般的な外でする「労働」と、家事労働の価値とが、相対的に変わってきている。という話。

ムカシは、男や女が外に出てやる労働と家でやる家事労働とは等価だったし、「同じ」だった。つまり、肉体的であるし単調でもある。
「同じ」とはキツさが同じってこと。

その時代のまんまだったら女性は家事労働から解放されたいとは思うだろうが「外で働きたい」とはあんまりいわない。だってキツさが同じなんだもん。

でも、現代の家事労働もさ、けっこうツールが発達して、極限まで効率化されているけど。
そんでさ、ムカシの家事労働はキツかったけど相当クリエイティブだったわけでしょ。今、一部の影響力のある女性たちは、昭和の家事労働のうちのクリエイティブな部分だけを(都合よく)ピックアップしてムカシに戻りたいなんざホザいてるけど。つまり「ものづくり」の方面ね。

だって、ムカシは、なんでもかんでも家でつくってたんだから。服から何から。そりゃあクリエイティブざますよ。
「つくる」イコールクリエイティブざます。

でもさ、家事労働が効率化というか適材適所になったおかげで、たとえばしまむら?だっけ?そういう店で服を買うほうが自分でつくったよりも安くあがるようになる。

何がいいたいかというと、効率化された結果として単調性だけが強調されたというかね。
たとえばボタンを押すだけで洗濯して乾燥までしてくれる、というのであれば洗濯物をいれてボタンを押すという単調作業は、残るよね。
そういうこと。

仕事は楽になったけど単調部分だけ残っちゃった。
あれまあ。
主婦がね、「楽」を望んだから。世の中はそれに応えた。楽になった。その代わり、「クリエイティビティ」は極限まで削ぎ落とされた。

少しだけザマミロと思うが。。