元祖【ひとり公論】

誰かには必ず、ほんの少しだけでも役に立つに違いない、という意味での公論

けっこうマジメなドラゴンボール論

stevengerrard.hatenablog.com

「無関心」ってのは、ドラゴンボールの重要なテーマだったような気がしてるのね。
オトナになって思うと、ね。。
鳥山明先生がそれを意識していたかどうかは、わからんけども。

悟空とかさ、強いヤツらは、結局のところモチベーションって「自分より強いヤツがあらわれるとワクワクする」っていうそれだけでしょ。
ところがね、相手が強くなればなるほど、地球を破壊するぐらいのパワーを持つようになり(もちろん悟空とか善玉のほうも同様に)、結果的に地球を守る戦いになっていくという。。

どんどん強くなるっていうのは、もともとは悟空とかの自己マンだったはずなのに、最終的には「みんな!オラに元気を分けてくれ!」っていう、アニメ界だけでなく一般化されたセリフにつながっていくわけ。

みーんな、無関心なわけでしょ。悪玉のヤツがふっと息を吹きかけただけで地球がふっとぶぐらいの(比喩ね)危機的状況で、今まさに悟空たちが動機はどうあれ、「大好きな」地球が破壊されないように戦っているさなかにも「街」は無関心。湾岸戦争をテレビで見てるような状況ね。

警告はすでに何回もなされているはずなのね。庶民に対して。善玉たちからしたら庶民に文句たらたらなわけ。「なんでこの危機的状況に気づかないんだ?」と。

ところが!いざ現実が眼前に迫ると。。たとえば、これもたとえだけどちょっと流れ弾が街に落ちてきて、警察も軍もまったくたよりになりましぇーん、となったときに、庶民はやっと気づいて、気づくならまだしも、悟空たちスーパーマンに対して文句たらたらなわけ。

「なんとかしろよオマエ!助けろよ!もともとはオマエらが悪いんだろ?」と、キレる。悟空たちは庶民に毒づかれるわけ。こうなったのもぜんぶオマエらのせいだ、と。

完全無関心からいきなり(ある種の)熱狂へ。


「元気をわけてくれ」の話で、「街」にまだまったく被害がなくて、戦いをテレビでみながらポテトチップ食べてるような状況のときには、だれも元気をわけてくれない。

でも、街が危機的状況になっていてもほとんどの庶民はいまだ無関心で、それどころかなんでオレの元気をオマエにわけなきゃいかんのだ、と。オマエらのまいた種はオマエらで刈り取れ、と。それが庶民のスタンス。

結局庶民ってそういうもんなんだよ。