元祖【ひとり公論】

誰かには必ず、ほんの少しだけでも役に立つに違いない、という意味での公論

カネの「選択と集中」

stevengerrard.hatenablog.com

カネをね、「かけるべきところへ、かける」ことができている人生ってのは、幸せだよね。

それは、そもそも金銭的に余裕がないとできないことだから。多くの日本人は、実際カネをかけるべきところにかけていても自分が金銭的に余裕があるなんてこれっぽっちも思ってないだろうが。。

そしてもうひとつやね、「かけるべきところ」がはっきりしているということ。これは、相当幸せなことだよ。
それをわかっているということは。

ほとんどの日本人はだらだらといろんな方面へカネを使ってるからねえ。誰かが(カーネギーだっけ)いってた「選択と集中」がまったくできていない。

だらだらとカネを使えることが幸せだと思ってるふしがあるが、それは違う。

実は、大部分の日本人がそうなんだが、だらだらとカネをいろんな方面へ「使うことができる」状態になるとその人の幸福度はぐーんと下がっていくわけ。
不思議だよねえ。

カネをつかうところを集中する(あるいは、そこにしか使えない)よりも、だらだらといろんなところへ使えるほうが幸せだと思わない? ぱっと見ね。
でも絶対にそうではない。

だから、凡人がちょっと小金持ちになると、とたんに不幸になっていく。

ちょっと小金持ちになって、ますます使うところを集中させていくことは、凡人には難しい(らしい)。