元祖【ひとり公論】

誰かには必ず、ほんの少しだけでも役に立つに違いない、という意味での公論

「全人的存在」(まだメモレベル)

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先日二冊の本を並行して読んでいたところ突然アタマに電撃的にひらめいたことがあり。。それを、ばーーっとテキストにメモしました。

まだ、まったく文章を練っていないのですが、早め早めで書きだしてゆきたいと思っています。

二冊の本というのは、これです

究極の鍛錬

21世紀の国富論


なんだか、僕のアタマの中で取っ散らかっていた疑問たちが、ひとつに「つながった」ような気がしたのです。


その疑問というのはたとえば、以前書いたのですが(「IT系の求人が「上から」な件」)なぜ我々SEの求人に「コミュニケーションスキルがあること!」と書かれることが多くなったのだろう? とか。


あるいはなぜ、ITで業務が効率化され生産性が上がったはずなのに仕事はどんどん難しくなり、サラリーマンの残業が増えているのだろう、とか。


なぜトップダウンでなくフラットな組織が求められるのだろう、(フラットな組織のほうが問題が多いのにも関わらず!)とか。


そういう疑問が、一気に氷解しました!


といえればカッコいいのですが、そんなはずはなく。。でもそういう類の疑問が、難攻不落の北極の氷ぐらいカチカチだったものが、「なんとなく溶けてきた」ような気がします。溶かすための方向性は見えた、といいますか。


。。ここまで書いて、我ながらだいぶハードルを上げてしまったような気もしますが、おそらく、多くの人は薄々気付いていることなんです。そして、私だけが気付いていなかったのかもしれない。


まぁそれでもよいです。気付くことが大事です。。気付いて、認識すること。

タイトルに書いた「全人的」というのは、簡単にいってしまえば「肉体的・精神的・社会的」ということです。でも、その3要素だけでは「全人的」のすべてを言い表せているわけではない。全人的とはとにかく「ホール(whole)」です。


というわけで、まず最初に結論を書きますが、我々は産業構造の変化により、21世紀に入り、「全人的存在」であることを求められるようになってきたのです。


「我々」というのはとりあえずは「システムエンジニア」という定義でかまいません。(わかりやすいので)ただし「ビジネスマンの中の」という接頭語はつきます。


カンタンにいってしまえば、エンジニアに求められるレベルがとてつもなく上がってきたということです。求められる「レベルが上がった」とは求められる「スキルレベルが上がった」わけではありません。我々はますます「全人的存在」たりうることを求められるようになった、ということです。


たとえば、システムエンジニアが、エンジニア的スキルにプラスしてコミュニケーションスキルが求められるようになってきた、といったような足し算の理屈ではないのです。


このパラダイム・シフトに気付かないと、21世紀も10年すぎたのにまだ(小手先だけの)スキルの向上を求めているようでは、取り残されてしまいます。いや、取り残されるならばまだよいのです。業界から排斥されてしまうかもしれません。あるいは逆に、取り残された人間だけが残ったこの業界が、沈没を余儀無くされるかもしれない。


言い方を変えると、「気付き」を得た人たちが業界を変えてゆき、それについてゆけない人たちが排斥されるか、「気付き」を得た人たちが業界を去ってゆき、それ以外の人たちが残って、そのままイノベーションを起こせず地盤沈下してゆくか、ということです。