元祖【ひとり公論】

誰かには必ず、ほんの少しだけでも役に立つに違いない、という意味での公論

買い物論

my格言・my座右の銘(自作自演)

  • 損したら損しか取れない(20080212)

ミチクサ(散歩、都市論etc)

  • 買い物論

買って得したかどうかは本人が決めることです。

極端なハナシ、他人からみて騙されていても本人さえ満足していればいいのです。

ただし超・前提条件として自身で閉じていること。買うことによって他人に迷惑をかけてはなりません。
買ったモノがものすごく場所をとって家族が迷惑するとか。コドモが、親の財布から抜いて買ったモノとか。
家が傾くほど散財するとか。親がムダ使いして子がひもじい思いをするとか。

近しいヒトに迷惑をかけないのはアタリマエのことなので、よいのですが、問題にしたいのは、ココロの中にかすかにでも、「これでよかったのだろうか?」という思いがチラついている場合。
そのへんを気にしたいのです。

ヒトの振る舞いを見ていると、たとえば高価な装飾品などを買って、聞かれてもいないのに言い訳しているヒトはまずダメですね。そういうヒトは流されて買っています。
次に、聞かれてもいないのに大自慢大会から入るヒト。これは、自信満々、大満足の買い物のように一見思えますが。。
これも疑ってみたいですね。なぜ、聞かれてもいないのにハナシを切り出す必要があるのか?
じわじわと満足しているのであれば黙っていても別に構わないのではないか?

聞かれたら答える、レベルならばいいと思いますが。。
聞かれるのを待っていてそわそわしてさりげなく見せびらかしているのも、アヤしいですね。

何かココロにつっかえるものがあるから、自慢だろうが言い訳だろうが、ヒトに話さざるをえない。


あれ、どういう結論にしたかったのか、というと。。

「騙された」と思わせない巧妙な商売が、はびこっているというか。。それは完全に合法なのでしょうが、つけいるのがウマいなあというか。。
安いものを、ものすごくへりくだって、買わせる。そして、それは購入者の生活の中でまったく使われず、いつか捨てられる。
買ったほうは、かすかに後悔があるのだが、「安いからま、いっか」で紛らそうとする。
「そもそも買う必要があるのか?」という思いを秘めながらも、日常でへりくだられることがないから、ぺこぺことへりくだられると、買ってしまう。
店側の思うツボです。

へりくだるのは、その商売人の神経がわずかにすりへるだけで、タダなのですから。相手は損をしていない。こちらは損をしている(カネを使っている)。こちらの負けです。
いや、商売人は何千人相手にへりくだっているのだから、実はもう慣れによりすり減ってはいないかもしれない。(それがプロ?)

こちらが負けではないケースは、ただぺこぺこされてこっちが軽い「付け上がり」状態になったときではないのです。
真に快適なサービスを受けたときです。いや、真に快適なサービスを「引き出せた」とき、とでもいいましょうか。
相手に真のサービス精神、プロフェッショナリズムをみたときは、その対価を払わなければなりません
よく会話の中で、相手があっぱれなとき「いや〜負けたよ〜」とかいいますが、実は、その技量に対してすぱっとおカネを払うことができたら、負けではないのです。

このへんは実はけっこうムズカしいハナシで、僕もやっと考えが固まりつつあります。


ところで、これはムカシの「安物買いの銭失い」と何が違うのか。。
そこを深く追求するのが、課題ではあります。

ムカシは、庶民の間で「買い物・リテラシー」が発達していなかったから、品質を考えず値段で飛びついて、飛びつきすぎて逆にムダ使いになってしまっていた、と。

現代においてもほとんど変わっていないですねえ。
でも、ムカシと今と決定的に違うのは、今のほうが豊かだ、ということ。つまり、ある程度安物買いをしても、こちらのフトコロはそれほど痛まないのです。

だから、そこに付け込む商売が発達してきました。
粗悪品を安く売る、のではなくて、安い品を価値どおりの価格で、たくさん売る。「たくさん」というのは、それを必要としない人間にも無差別に「売ってしまう」ということですね。
無差別に売るために、不特定多数に対してへりくだる必要があるわけです。


現代の商売のやり方は、ムカシとはゼンゼン違う。それは間違いありません。
だいたい、商売人はムカシは今のようにへりくだっていませんでした。
なぜなら、商売というのはムカシのほうが仕組みがシンプルだったのです。

商売人は、長い時間をかけて「あ、へりくだれば安い商品って売れるんだ」と、高飛車にならず、うまくへりくだるノウハウをゲットしてきたに違いありません。

でもその商売のやり方と、インターネットと、なぜリンクしたのか?

いえ、へり下るのとインターネットとは、おそらくそれほどリンクしていないようです。
庶民は、カネを持つようになりました。と、いうことは、商売人に対して「オラオラ状態」になれるわけで、高飛車な商売人にカネなど払わなくなります。ですから、商売人のほうが変わらざるをえなくなりました。

オラオラ状態になるということは、こっちが、店を選べるということですね。そして、安くて良質な店を選択するのに、インターネットはツールとして大きく貢献してきました。


ムカシはホントに、商売する側のほうが客をナメていました(それがふつうでした)。
たとえば粗悪品を、そう見えないように売る、とか。。客は、信用しているのです。店側は売るプロで専門家なのだから、粗悪品などは売らないはずだと盲目的に信じていました。これが、「買い物・リテラシー」がない状態。
近隣の商店を信じ、安い買い物のために庶民が遠出することもそれほどなかった。(ハレの日の買い物をのぞく)


粗悪品を安く売ることこそ、ひとつの立派な手法であり、ムカシの庶民に対する商売上手とはそういうものでした。

最近の、なんとか偽装問題では、とある商品について、これは粗悪です、もうすぐ賞味期限切れです、だから安くします、と「カミングアウト」することが求められています、
そしてその傾向はますます進むでしょう。これはこれで、とてもよいことです。

庶民は、商売人に対して、「買い物・リテラシー」を身につけてリベンジしなければならないのです。