元祖【ひとり公論】

誰かには必ず、ほんの少しだけでも役に立つに違いない、という意味での公論

ヒトは変われます 間違った疾走感

こうありたいまたは反面教師

  • 間違った疾走感

モノ、カネに追われ続ける生活というのは麻薬的というか。。 そのリフレッシュとして海外旅行に行く、なんていうのも、それも「モノ、カネ」に取り込まれているので、その生活そのものが「モノ、カネ」に支配されてしまっていて、でもそういう生活ではものすごい「疾走感」を感じることができます。

そういう生活ですと、あっという間に一年がすぎます。しかも、「充実した一年だった」と回顧「してしまう」ので、反省することもない。

でもそれは、麻薬を打ち続けているようなもので、(モノ、カネイコール麻薬、という考えです)麻薬を打ちながら疾走するという行為は、根本的には間違っています。
が、ホントウに問題なのは、そういう生活をうらやましがる人間がたくさん存在するということ。つまり、そういう人間は、ステージの上で、ファンの前で走り続けているのと同じようなものです。

それは、「ファン」ともまたちょっと違うのですが。。 うらやましがる人間がいれば、ヒトは、それを続けることができるのです。なぜならば、優越感を感じることができるから。優越感というのは「ガソリン」になりえます。


つい最近までは、そういう、麻薬を打ちながら疾走し続ける生活によって、日本人は「幸福感」までも感じることができていたのです。「うらやましがるヒトたち」(イコール「庶民の総体」)を精神的なバックにつけて。。

ですが、それに対して自分は「違うんじゃないか?」と思いますし、ココロから「違うんじゃないか?」と思えるヒトは、また増えてきているはずである、と確信しているのです。


なぜなら「やっぱり」カネ、モノに囲まれてがつがつした生活を送っている人間を「幸せそう」とは思えないからです。


そこを到達点にしてしまうのが問題だと思うのですよね。そこからもっと「高み」にいってほしいといいますか。。とにかくそういうヒトには、カネはあるのだから「がつがつ」はもうやめたらよいのではないですか、といいたいのです。がつがつをやめたときに、次のステージの扉が開けるといいますか。。その入り口まできている時点で、ある程度「選ばれた」ヒトであることは間違いないのですから。。 

自分について

  • [想い出]ヒトは変われます。

前にも書きましたが、自分は高校を卒業するまで、一切家事はやりませんでした。
炊飯器を使ったこともない。電子レンジも使ったことがない。
数少ない例外は、家庭科で習った料理を家でふるまったことがあるぐらいで。。

でも、それは、私の周りの、親が専業主婦の家庭はみなそうでしたので。。このハナシをすると「過保護」といわれることもありますが、過保護というよりは「放任」なんですよね。

放任というのは、今考えれば、あまりよろしい教育ではないと思います。それは、「躾」をも放棄しているも同然だからです。

高校のとき、親が共働きの友人(といってもそんなに親しくなかったです なぜならヤンキー系だから)が、朝、弁当つくりを手伝う、という話を聞いたとき愕然としたものです。それってなんかカッコいい。。と。(ヤンキー系だけに、余計に)

小学校のころは、典型的なイナカのコで、学校から帰ってくるとカバンだけおいてすぐ出かける。そして夕方帰ってくる。おやつは戸棚とか、冷蔵庫をあさって勝手に食べる。夕食は出されたものを食べる。風呂は沸いているのでただ、入る。自分の部屋は、昼の間に掃除機がかけられている。ベッドは整えられている。パジャマと下着は、用意してくれている。明日の着替えも、おいてある。

そういう生活。

雨の日は、遊ぶステージが外から内に変わるだけ。部屋にこもって遊ぶ。あるいは、ぼけーっとテレビを見る。宿題なんて、あったのだろうか? おぼえていませんが。。
たまに、母親の買出しに付き合う。なぜならば、母親が数日に一度車で出かける地元のスーパーには、ゲーセンが併設してあったからです。
雨の日はいるわ、いるわ、同級生が。他の小学校のコドモも先輩も入り乱れてうじゃうじゃと。


そんな小学校生活を送り、そのまま反抗期に突入してゆくので、家の手伝いをする習慣など、つくはずもありません。

で、大学入学のため上京して、ボロアパートを借り、すべて独りでやらなければいけない、という現実に直面したのです。

が。。今考えれば、驚くほどスムーズにその現実を受け入れていきましたね。。
母親には、炊飯器と電子レンジと小さい冷蔵庫を「入学祝」に買ってもらい、最低限の台所用品は実家のお古をもらい。。(すべて、なすがまま)
今でもおぼえていますが、ご飯の炊き方と、野菜炒めの作り方を教えてもらいました。
たぶん、それだけです。いや、味噌汁も習いましたけど。。それは、お湯にダシ入り味噌を溶かして、カットわかめを入れて、豆腐を角切りに切って入れるだけですから、「教えてもらった」とすらいえない。。


その後は、独り暮らし向けの料理法を記した漫画(名前わすれました)を買ったり、料理本を立ち読みしたりして、レパートリーをそれなりに増やしていきました。

そこには、苦痛はまったくありませんでした。「すべて独り」という現実を相当楽しんでいましたね。

今考えると自分はホントウに、「しがらみ」的なモノは好きではないのですね。

まあ、自炊に固執していたわけでもありません。カネはなかったですが、頻繁に立ちそば、100円バーガーチェーン(若いヒトたちは知らないでしょうが)、吉野家etcには行ってましたね。近所の定食屋すら、「ごちそう」でした。定食が¥650ぐらいでしたかね。外で食べるときは¥400以内(吉野屋「並」以内)におさめるのが基準でした。

それと、相当利用したのはレトルトカレー、レトルト丼、まぜるだけスパゲティの具、などなど。。その手の商品は、スーパーに売っているすべての種類を試しました。

忘れた頃に親戚が米を10kg、どーんと送ってくれていたので。。これには相当助けられました。


あと、これも前に書いたかもしれませんが、学校への定期は買ってあるので、学食を食べにだけ学校にいくことも多々ありました。確か、けっこうボリュームのある定食が、¥350ぐらいでしたか。。 かけそば¥100、具のないカレーが¥180でした。(未だにネタとして使いますが、カレーにたまに固形の具が入っていて、「肉だ!」と思うとそれは溶けきってないルーなんですよね)


夕方、学食が閉まるころに定食をたべて、それでもう済ます。。夜お腹がすけば、食パン。食パンにハムを乗せればそれでごちそう。

。。なんだか書いていて懐かしくなってきましたが。。 こういう食生活は、当時の田舎から出てきた学生にとってはごくふつうでしたし、こういう食生活は、楽しかったですねぇ。
だから、帰省すると、母親とかは「何か食べにいく?」といってくれるのですが、頑なに「なんかつくって なんでもいいから」と頼んでいましたね。手料理であればホント、なんでもよかった。片手間で作るチャーハンとか、そういうのを特に好みました。

。。また思い出しましたけど、家庭教師をやっていて、教える曜日じゃない日に突然「ごはん食べにいきましょう」と親御さんに呼び出され、車で寿司屋に連れてってもらって、たらふく食べたことがあります。後にも先にもそれっきりでしたが。。(食べすぎたから?)
お勘定は相当なモノだったと推測されます。

あのときが人生最高の満腹状態ではなかったですかねぇ。食後に車で、自分のアパートそばで降ろしてもらったのですが、しばらく歩けませんでした。

自分の教え子の親御さんは、とても良い方で、よくごはんをごちそうになりました。特に、カレーですね。「こんなのでごめんなさいね」とか恐縮されながら、出てくるのですが、それがまたウマいこと。。
私の食べっぷりがあまりによかったのでしょう、「今日はカレーなんだけど、よければ食べていきますか?」と、「カレー日」には必ず出してくれましたね。おそらく、私の「出勤日」とその家のカレーの日を、あわせてくれていたのだと思います。

教え子は生意気に「ウチのカレーはマズい」なんていってましたが。。 「そんなことはない!」と怒っていました。


ところで、何もできなかったのは料理だけではありません。掃除洗濯もやったことがないのですから。
そういえば掃除洗濯も教えてもらいました。。掃除を「教えてもらう」のですから、どれほど無知な状態だったかがわかります。
洗濯も、当時は二槽式で、洗い=>すすぎ=>脱水=>干すの手動作業を楽しんでやってましたねぇ。。


まァとにかく、上京して、「アソビまくる」ではなくて、地域の「監視」の目から離れて羽を伸ばして、別な意味での独り暮らしを満喫していました。

とにかく、「自分でもできるんだ」ということを実感できるのが、うれしかったんだと思いますね。


そして、そのまんま大人になった(「なってしまった」?)という感じです。料理はほとんどしなくなりましたが、掃除洗濯などをきっちりするクセは抜けません。
まァ悪い方向性ではなかったと思いますが。。

たまに、破天荒な生き方にあこがれますけれども、それはもう、できないのだな、と。。 「できなくて何が悪い!」と。破天荒な生き方からシフトして「きっちり」生きることができない人間がこれほど多い中で、自分はけっこう独自性を保てているなあ、と思うわけですね。


逆に、コドモのころにきっちりとお手伝いさせられて、その習慣を持ってオトナになったら、途中でイヤになって自堕落になっていったのかもしれませんね。「これは自分の生き方じゃない!」みたいな無用な反抗心を持ってしまって。。
逆に、「破天荒な生き方」になれたかもしれませんね。でもそれは、そういう可能性があるというだけの話で、実際は、「破天荒」というよりはいってみれば「ぐうたら」になってしまっていたのではないかと。

毎日やっているヒトには「イヤなこと」とうつるかもしれない掃除洗濯、食事etcを、あまりに初めてだったものですから、すべてが珍しいままに楽しくできてしまい、それがそのまま継続してしまったのです。スタートが早すぎるとこうはいかなかったと思います。

「ぐうたら」になってしまっていたら、「よりよく生きる」も何もないですよね。


これは「ドラゴン桜」に影響されているのですが、いかに「スポンジ」をからっからにしておくかが大事なのでしょうね。受験勉強だけでなく。。
その兼ね合いが、ムズカしいです。

私は、上京時、「家事」という観点ではスポンジはからっからでしたし、独り暮らしで家事を「やらざるを得ない」状況で、その手法の習得を「渇望」していました。だから、驚くべき勢いで吸収できたのでしょう。


そういえば自分は、ムカシはものすごく食べ物の好き嫌いがハゲしかった、と親や親戚から聞きましたが、大学時代からは、そんなことを言っていられるわけもなく、今は全くないですし、(そもそも、なぜ食べ物の好き嫌いを「しなければならない」のかがわからない)子どものころは小食だったらしいですが、一人暮らしを始めたらいきなり大食いになりましたし、
そもそも、不思議なことに大学に入ってからさらに背が伸びたし。。

これは「大器晩成型」の一環ではないでしょうか?