元祖【ひとり公論】

誰かには必ず、ほんの少しだけでも役に立つに違いない、という意味での公論

想い出:最初に構築?したシステムは書院のマクロ

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1991年ぐらいだったと思うけど。

塾講のバイトでさ、教えるコマじゃない時間に、生徒のテストの点数を入力する仕事やってたんだよね。
(今考えるとものすげえ個人情報だな。。)

職員室に、でっかい「書院」(シャープの)が2台あってね。。1台は塾長専用、1台は共用、みたいな感じで。

まだほとんどの先生、講師の方は、手書きでテストつくってたと思う。塾長は、なんかしらんけどワープロが好きでね、あれやこれやいじってた。

で、テストの点数を入力するのは単調だったんだけど、塾長に書院のマクロを教わったんだ。たぶん「マクロ」って言葉ではなかったと思うが。

入力したら、その右の列に計算して結果をアウトプットし、どこかまでいったら罫線を引き、みたいな。。
データを入力するのはいかんせん、単調作業から抜けられないのだが、そこから資料を作成するところまでは独自で自動化した。

マクロおぼえたら、書院(ワープロ)が楽しくなってね。。
ちょうど、塾長に頼まれて豆テストつくったりしてるうちに、手がブラインドタッチ的になってきたこともあり。

たぶん、周りに「おー」とかいわれてたんだろうな。キーを早く打てるだけで周りから「すげー」みたいにいわれる時代だったから。

関係ないけど、かわいそうにさ、あのころメーカー毎に共通仕様がほとんどなくて、ウチの塾にきても書院しかないから、他の富士通だのなんだののワープロのマスターがきても、ぜんぜん太刀打ちできないというか。
ああいうのってかなりもったいなかった。でも、ウチの塾でやっていくために一から書院をおぼえなければならない、みたいな。

一太郎とWORDがしのぎを削っていたころも、同じような議論があったな。



でなんだっけ。

塾講のバイトだったのだが、書院の画面に向かってアソんでるのが楽しくなってきちゃったんだよ。

オレ的には遊んでるわけじゃなくて、とある「システム」をつくってたわけさ。子供らのデータを一元管理できるような、ね。
塾長や他の先生方が、こういうふうにまとめられたらいいよね、ってあちこちでいってるのを、一気に解決できます!みたいなさ。

まぁ具体的にいうと、それぞれの生徒のとある高校への合格可能性を割り出す、みたいな。そんな感じの。

それをね、1ヶ月ぐらいかかって、つくってたの。もう、完全にただ働きでね。だって、それをつくるのが楽しくてしょうがなかったわけよ。

たとえば日曜当番のときにね、オレが最後、カギ当番になるんだけれども、現場で独りになったらタイムカード押してさ、あとは深夜までつくってた。

あとはバグとりだのテストだの。。さあできあがるぞ、ぐらいのときにね、とある仲のよかった女のジムの人にいわれたんだ。「●●くん、いつもなにやってんの?」って。ストレートに。

PC、というか、ワープロの画面に向かって仕事する、なんてワークスタイルは、それまでまったくなかったんだよ。今じゃそれがアタリマエなんだけど。
オレはその期間、時間さえあればずーっと画面に向かってたから、みんな不審に思ってたんだよね。

でオレ、新しいシステムをつくってるとか、そういうこともいえず。。(だってさ、それを求められてたわけじゃなかったから)確か、ワープロをおぼえてましたとか、ワープロであそんでましたとか、フザけたこといってしまったんだよ。。
「仕事してる」と回答する選択肢は、あの頃なかった。画面とにらめっこしているイコール仕事している、という状況は、当時市民権を得ていなかったから。

そしたら怒られるというよりは呆れられてね。バイトくんが勤務時間帯に何もいわれないのをいいことに、アソんでるわけ? みたいな。
その人は、かなりオレの印象悪くなったようだった。

でもそのジムの人以外は、なんとなくわかってたと思うよ。オレがアソびで画面とにらめっこしていたわけではない、と。

で、その「システム」もどきは無事完成して、確か記憶では、プレゼンもなくいきなり見せたんだよね、塾長に。

「できました」ってわけでもなく。だって、前書いたけど、つくれといわれたわけでもなかったから。

とある生徒が●●高校のボーダーライン上にいるが、強く●●高校を希望しているんだが、実際合格可能性は? みたいな。そういうディスカッションをしていたんだよ。

数値的には、過去の重要なテストの点数だの内申だのをさ、紙資料ひっくりかえして集めてきて、その場その場で資料を見比べてうんうん判断してた。で、インスタントにまとめて、親との面談にのぞむ、と。
今まではそういうアナログなやり方だったんだけど、オイラがいきなり見せたんだ。「過去の内申がよかったのでいけるかもしれません」と、オイラなりの分析結果もつけて、ね。

オレのシステムには、過去の卒業生のデータも数年分、しこしこと入れてたから。1年前はどうだった、2年前は、とか。過去の似たような子の結果はどうだったか、とか、そういう分析ができるわけ。

それをみて、塾長とそのとりまきは、絶句してたね。「なにこれ?」みたいな。

たぶん、これこそ塾長が求めていたシステムだったと思うんだ。で、オイラはそう確信していたから、冷たい周りの目にもめげず、しこしことつくっていたわけで(無給で!)

それ以降オイラのつくったシステムは即採用され(笑)、オレは塾講の仕事、つまり授業以外にも、ある意味ひっぱりだこになった。
まったく給料は上がらなかったが。。そりゃそうだよね。

特に、ボーダーラインにいる子が上の高校を受験するか、やめるか、滑り止めはどうするか、という判断をするときにそのシステムはとても役に立ったし、ほとんど外れはなかった。
なぜなら、そのマクロはね、ただいくつかの数値に対して一定の係数をかけて、その結果をわかりやすく表示させたものにすぎないから。そこに恣意的な要素は入らないんだよ。その子が先生に好かれてるか嫌われているとか、そういうのはね。

受験ってのは100%じゃないけどね。なぜなら、試験当日の体調っていうのもあるから。


ただ、大変残念なことに(笑)、そのシステムはつくったのもメンテするのも、データ入力するのも、すべてオイラしかできないシステムであり、数年してオイラがその職場を離れたら終了。。
「引き継ぐ」という考え方すらなかったから。


と、書いてきたんだけど、未来の自分、つまり今のオイラを暗示していたような気もする。

システムを自力でつくりあげ、かつそれをたくさんの人に使ってもらい、役に立ち、そして感謝されると、すごく嬉しい。その「嬉しい」という感情は、お金には替えられないものがある。

それから何年かして、いわゆる本当の「マクロ」(excelの)に出会ったのだが、「あーこれ書院でやったヤツじゃん!」と。敷居は低かった。

でも、とにかく、ワープロのおかげでブラインドタッチができるようになったのは、大きかったなあ。

書院が面白くなって、結局自宅でもなけなしのお金をはたいてポータブルなタイプのワープロを買った。まだPCの時代ではなかった。オイラがマッキントッシュを買って、パソ通にハマったのはさらにまた数年後。。

自宅でワープロを持つようになって、日記と、家計簿をワープロでつけるようになった。だって、そういう習慣がないと、せっかく買ってももったいないからねえ。

もちろん、論文にもワープロが大活躍。

オイラの生活習慣のベースが、すでにできていたってことかな。

とにかくオイラの人生は書院(シャープ)さまさまだったってことだ。