元祖【ひとり公論】

誰かには必ず、ほんの少しだけでも役に立つに違いない、という意味での公論

満員電車と自由


満員電車と自由 - シニアICT土方の【IT公論】

たとえばオイラの場合、1日に往復で50分ぐらい満員電車に揺られる。その、乗っている時間は確かに、物理的に苦しいかもしれない。
でも、その50分以外はオレは自由の身。
という考え方もできる。
オイラの人生はトータルでは自由。その50分っていうのは、それ以外を自由に生きるためにさし出している「代償」にすぎない。そう考えるといくら苦しいっつっても「代償」にしては苦しくないなあ! だって、ただ黙って立ってりゃいいんでしょ、往復50分を。それに、本を読んだり楽しいことを考えたりしていくらでも苦しい⇒楽 に変換できるし。


オイラの場合その苦しい時間帯が1日に100分だったり、150分だったりしたら、だんだんと「それ以外は自由」なんていっていられなくなるのかもしれない。オイラなりのしきい値が50分なのかもしれない。

たとえば片道90分埼京線だの常磐線だの東西線だのに揺られ続けている人は、出勤した瞬間にもう疲れている。
飲み会のたびに、帰る頃になると「また満員電車か」とネガティブなキモチになってしまう。(せっかくのほろ酔いも、さめる)
オイラも、そういう立場だったらネガティブになってしまうように思う。

でもさ、たとえば今往復180分の人がオイラぐらい、50分ぐらいになったとすると。。はたしてポジティブになれんのか? と考えるとちょっと疑問符なんだよね。

そういうひとって、例えれば一気に車通勤だったり「運転手付社用車」みたいなのを求めたがる傾向にあって、180分が50分になったところでネガティブ・シンキングはあまりカイゼンされないような気がすんだよね。

環境を変えてあげても、自分の心持ちを自身で変えていかないとさ。