元祖【ひとり公論】

誰かには必ず、ほんの少しだけでも役に立つに違いない、という意味での公論

散歩のイメージ


散歩のイメージ - 元祖【ひとり公論】

すごく大事なことを、まさに思いつこうとしているような気がするんですが。。

  • イメージ

道を歩いたイメージは、それぞれの行動は完全に忘れてしまっているにせよ、重層的に、イメージとしては重なっているような気がします。

たとえばenyaの多重ヴォーカル録音を聞いている感じ。。

Watermark

Watermark

 

 

しかも、パラレルに。

この感覚は、自転車やクルマで走っていると起こり得ない。

 

その道を、初めて通った日からもう何十回、何百回と同じ景色をみていると、それは何というか。。景色が「分厚く」なってくるといいますか。。

そのときそのときの「想い出」とともに。

特に、帰り道なんかはそうですが、楽しい気分のときもあるし滅入っているときもあります。そして、特に何もない、無感情のときもあります。ですが、景色は毎日、ほぼ同じ。
それを繰り返していると経験、記憶が「重層的」になってくる。バームクーヘンのように脳に蓄積されていく。1枚1枚は、はがさないと表面は見えない。でも、脳だから、はがす術を知らない。

道は、独りのときもあるし誰かと一緒のときもある。忘れたい人と一緒のときもあった。強烈な出来事が起こったときもある。酔っ払っているときもある。泣いているときは。。たぶんないけど。