元祖【ひとり公論】

誰かには必ず、ほんの少しだけでも役に立つに違いない、という意味での公論

問題解決能力

問題解決能力

僕らは、現場に何をしに行くのかといえば、「問題解決」をしに行っているのだと思う。
「作業」ではなく。

もっと具体的にいえば、大小の問題が常にドッカンドッカンと発生し、さらに、以前から残っている問題が山積みだったり、といった状況の中で、柔軟に、それぞれ解決のためにどうすりゃいいかを考え、道筋を立ててそれを実行する。
「実行」については、やれるところは自分でやるし、人手が足りないところは「外注」する。

問題が発生したて、ほやほやのものもあるし継続中もあるしクローズを迎えようとしているのもあるし、だから、パラでいろんな状況が走っている。あーだ、こーだと考える会議の後にせっせと手を動かしたり、(会議中に内職したり。。)
常に複数のことを考えながら、頭を切り替えながら。(それを「柔軟に」という)

そして、その問題どうしが、実は関係性があったりする。そういうところを見つけてつなげていったり。
(つなげるのは「センス」かもしれないね)
 
自分が自分が、と解決するのではなく、他人に解決を促したり。。(プライドをくすぐってあげながら)

 
 
ところが。
そもそも僕の個人的見解では、組織というものは問題解決フローの上流、どうすりゃいいかと考えて道筋を立てる、ところまでは、ホントは(僕みたいな人間に)外注しちゃいけないんじゃないかと思っている。

そこを組織が丸投げしちゃいかんだろ、と。

でも実際は、そうもいかないんだけど。。
ホントに丸投げしないようになったら僕は失業したりして。

 
 
「現場」っていってるのはプロジェクトもあるだろうし運用もそうだし、フェーズは関係ないように思う。
どのフェーズにおいても問題っていうのは必ずある。

ホントに、現場で問題がなければ僕らはおまんま食い上げであるが、問題っていうのは、このギョーカイでは日常茶飯事で起こる。だから、僕らは食ってゆける。
問題解決というのは非常に、泥臭い部分がある。問題がまさに火を噴いている現場に放たれて、「何とかしろよオラァ」といわれるのが僕らの役目だからね。

 
「問題」の原因の多くがコミュニケーション系である。
このギョーカイにおいては、誰もが、自分に都合のよいように考えるから。。

何かひとつのことが会議で決まったとして、その決定事項は各ステイクホルダで百様の解釈がある。それぞれが自分の都合の良いように考える。

たとえばその決定事項に伴い、何かしらの面倒な作業が発生することが明確であり、さらにその作業分担がまだ明確になされていない場合。。

誰もが、その作業をフられるのは「自分ではない」と考える。でも誰かはやらなければならないし、上層部は実は、誰に(あるいは「どこに」)やらせようかというのはおおよそ決まっている。
だから、当然のように「認識の違い」が発生する。

「認識の違い」は問題に直結する。

 
 
僕らはぬくぬくと作業をしに、現場にいっているわけではない。
何かしらの問題に対して、解決策が打たれ、解決手段が作業レベルにまですでに落とされていて、その作業をやるだけであればそれは(カッコつけていえば)僕じゃなくともよい。

現場が求めているのは問題解決のユーティリティープレイヤーであり、前述した4つのフェーズ(問題が起きたときに「どうすりゃいいか考える」「道筋を立てる」「作業に分解する」「作業をする」)すべてができる人材が望ましい。
(「調整」は、「道筋を立てる」に含まれるかな)

でも、すべてをやるのはけっこうムリなので、であれば、上流をやれる人間が求められる。
なぜなら、上流をやれる人間は高い確率でとある局面では下流もできるからだ。

企業ってのはどちらかといえば上流にカネを出す用意がある。(100%ではないけど)

 
でもでも、受身のエンジニアって、下流工程をやりたがるよね。上流は「決めてよ」と。。

その姿勢はいかがなものか、と思ったりもするが、同情の余地もあり。。
なぜならさっき書いたとおりで、そもそも上流ってのは外注すべきではないと思うからだ。

 
問題解決にはいわゆる技術的な「スキル」も求められるし調整能力も求められるし場合によっては政治力も必要。
エンジニアっていうのは、他のギョーカイの人間にその「在り方」が誤解されているところが多々あるのだが、それらがバランスよく必要なんだよね。
スキル方面に偏った人材こそが「エンジニア」である、と考えているヒトは、外野には多いようだが。。

そういうヒトは「ワーカー」として重宝される、かもしれない。
なぜ「かもしれない」かというと、スキル重視で生きていこうとするのであれば、バックグラウンドとしての「人間性」は必須だからだ。
でも、人間性がイマイチ(自主規制)

ギョーカイとしてそういう人材がいらないといっているわけではなくて「適材適所」であると言いたいのだ。

 
 
エンジニアが仕事を受注する際のやりとりで、仕事内容の定義があまりにアバウトだというのも問題かもしれない。

エンジニア気質だと、「あれとあれとあれをやってください」ときっちり定義されているのが、好きだ。これはけっこうアメリカ的である。

そういう定義がされていれば、なんかいわれたとき「それは契約にはありません」といえる。
契約ってのはそのための防波堤である。

そして雇う側ってのは、そんな防波堤をつくらせたくはないから、契約はアバウトにアバウトにしたがる。「○○システム構築支援」とか。。

いったいなんだよそれ。具体的にはなにすんだよコラ、みたいなことを言い出すと、「詳細は現場に入ってから、リーダに説明させます」とか。。
守秘義務がどうのこうのとかわされて、仕事内容は現場に入るまでほとんど聞かされないからねえ。

あんまり仕事内容について食い下がると、なぜか「受身体質!」とレッテルを貼られ、雇ってもらえない。
仕事の「契約」なのに「仕事は自分で見つけていただいて!」とかわけわかんないことをいわれ。

それが当然のようにまかりとおるギョーカイ。

 
 
それとね、エンジニアってのは、「技術」そのもので、力技で解決できる問題「だけ」を求めるきらいがある。
そういうのってけっこうタイヘンだけど、みんな好きだよね。
エンジニアの醍醐味はそういうところにある(だからそういう仕事だけやりたい)、と断言するヒトもいる。
そういう、純粋に「技術的な問題」の修羅場も多々あるし、それを乗り越えてきているヒトは確かにスゴいかもしれない。

だから、「技術的な問題解決」についてはそれほど人材不足にはならない。皆が「わーっと」群がって解決したがるから。

でも、そんな都合のよい、技術そのものだけで解決できる「問題」ばかりじゃない。現場ってのは。
たとえば、ぐずぐずいってるベンダをどやしつけて、深夜作業を突貫でやらせるとか、そういう「判断」と「決断」ができるリーダシップがもっとも大事になってくる。

リーダシップを発揮するのが「オレじゃないよ」と逃げる人材は、これからの時代はどうだろうねえ。。
はたして逃げ切れるかな?
少なくとも重宝されることは、ないだろう。
 

システム障害になると、わらわらと、管理職の「ムカシ取った杵柄軍団」が現場にあらわれて、あーだこーだと評論家を気取って、現場で死ぬ気で障害対応にあたっているヒトたちのジャマをする。

。。はっきしいって相当、ウザい。

なぜ障害のときに「退役軍人」があらわれるかというと、実はあの現場、あの緊張感が好きなんだよね、みんな。
「オレもムカシは。。」と、それぞれが経験した大規模障害の自慢話。それがどれほど修羅場だったか、どれほど大規模な影響があったか、と。。
(でも、そもそもそんな障害って起こらないほうがいいんじゃないの?)

 
 
プロジェクト遂行というか、それは僕は「正常系」だと思うけど、プロジェクトの道筋を立てるPM業務っていうのが問題解決とは別にあって(でも、プロジェクトもはじまるとすぐさま問題にまみれてゆくんだけど)
それはそれで、僕じゃなくても、やりたいヒトがたくさんいるから、別にいい。(「表舞台」だから。。僕の出る幕じゃあない)

 
僕らは、「問題解決」をしに行ってるわけだから、9時5時の仕事ではない。昼休みも厳密に決まっていない。
それは確かにホワイトカラー的では、ある。

だから、(かどうかわからないけど)このギョーカイでは「9時5時の仕事」って相当バカにされてる。バカにする風潮は、それはそれで問題なような気がするけど。。

「9時5時」は確かにありえないかもしれないけど、労働時間はそんなに長くなくともいいんじゃない? 不規則なだけで。
規則的に毎日9時0時ってのが、異常なんだよね。

 
問題解決とかさ、「ソリューション」の質を上げるために、休息、振り返り、あるいは「余裕」といったキーワードがどれほど大事か、というのは、歳を取ってからわかる。

でも、ただただやみくもに「突き進む」時代も、経験として必要。でもどこかで気付かなきゃね。