元祖【ひとり公論】

誰かには必ず、ほんの少しだけでも役に立つに違いない、という意味での公論

過剰な顧客本位主義(2)

過剰な顧客本位主義(2)

 

ひとつのよく聞かれる例としては、「iPhoneはユーザが望んでいたか?」と。ユーザの、そのときそのときの移ろいがちな目先だけの要望を都度聞いていたらああいう製品は出てこないのでしょう。

iPhoneはユーザが望んでいたか?」という問いは実はYesなのです。彼ら(Apple)はユーザの、というよりは「人間の」根源的な「便利になりたい」という潜在的欲求をうま~く吸い上げて、実現させているのだと思います。Appleは「未来」を提示していますし、彼らは自分たちにはそういう使命があると強く思っています。これは一種のエリート意識ですよね。

そして、ユーザの目先だけの要望を取り入れるのは、日本人が非常に得意なんですよね。





我々の仕事がつまらない(と、はっきりいってしまいますが)のは、ユーザのニーズを取り入れるのが仕事になっているからです。

それが、ネガティブストレスになっています。ユーザからのギリギリの仕様変更のゴリ押しなどが顕著な例です。

結局のところエンジニアというのは、自分がつくりたいものをつくっているときが幸せで。。(特に、つくっている過程)

そしてそれを趣味にせず、ビジネスとしてお金を循環させてゆくことが、社会人としての我々の使命です。



実は、エンジニアが目を輝かせて「クリエイティブ」している姿に、ユーザは羨望の眼差しを向けているわけです。そして、その「創造物」に対してきれいにお金を払ってくれるのが理想です。なんとかして羨望を「嫉妬」の念に変化させることなく、ビジネスとして昇華させてゆかなければなりません。そのためにはまず我々のほうがレベルの高いアウトプットを出し続けていかなければなりませんし、人間的にも、「尊敬される」とまではいかなくとも、まぁふつうに礼節のある人間である必要はあります。

「クリエイティブ」がユーザの「ニーズ」を刺激し、新たなマーケットを創り、しかるべき対価が支払われ、そしてエンジニアも潤う。それは確かに、理想論です。でも、それは青臭い理想にすぎない、と言い切れるのでしょうか。

現在どういう方向性なのかはわかりませんが、日本が真に「技術立国」を目指すのであればそのあたりをマジメに考えるべきではないかと、思います。(「技術立国」を実は目指していないのであれば、別にいいのですけども)