元祖【ひとり公論】

誰かには必ず、ほんの少しだけでも役に立つに違いない、という意味での公論

人生に「乗れない」感

人生に「乗れない」感

最近の自分の周辺のヒトたちには、人生に「乗れない」感があるような気がしています。

充実した時があっという間に流れてゆく、という経験。

現代は、時間の流れは異常に早くなってきていて、すぐに歳をとってしまいますが、「充実感」というのは、自分が求めない限り皆無です。それはアタ リマエのことかもしれないのですが、なぜそうなのか、はなんとなくわかるような気がします。

だから、せめて、時間に支配されるのではなくて、能動的に時間を使わなければなりません。そうすれば無益な時間がどんどん流れていくという「感 じ」からは逃れることができる。そして、自分が使う時間を充実したものにできるかできないか、はまた別なハナシです。

浦島太郎が玉手箱を空けたとき、「煙」がもくもくと出てきて、その煙をかぶってしまったら一気に時が流れて現実に引き戻された、というハナシ で。。

現代には、あの「煙」がうっすらと(ホントにうっすらと)充満し始めているのではないか、と。時の流れを加速させる「煙」。

つまり。。誰もが竜宮城にいる、ということ。でも、「現代の竜宮城」は消して桃源郷ではなかった。つまり、浦島太郎が書かれた時代にはテクノロ ジーの究極の進化により、世の中は「竜宮城」の状態になると信じられてきたが、実際はまったくそんなことはなかった、と。。

では、もっともっとテクノロジーが進化したら世の中は竜宮城になるのか? といえば、全くそうはならないのでしょうね。

現代の「煙」の正体は何か? それは「ビット」、つまり圧倒的な、デジタル化された「情報」のことです。それは、物理的には存在しないのですが確 実に世の中を覆っています。