元祖【ひとり公論】

誰かには必ず、ほんの少しだけでも役に立つに違いない、という意味での公論

赤坂憲雄さん(2)

思想家 河合隼雄

思想家 河合隼雄

心の相補性について、河合はこう述べている。すなわち、ユングによれば、人間の心には相補性の原理が働いており、それは相反するものがたがいに補いあってひとつの全体性をつくりあげる傾向として、人間の心のなかには存在する、という。それはしかも、二人の人間のあいだよりも、まずひとりの人間の心のなかに働いており、意識的な態度が一面的になるとき、それを補うような傾向が無意識的に形成されるのである。
「1」はすでに・つねに「2」を孕んでおり、この「2」は相反し/補うことで「1」という全体性を構築している。ここでは「1」/「2」が表裏をなし、心における相補性の原理として働いているのである。それがもっとも劇的に現れるのが、いわゆる二重人格の現象であるが、人間の心はそうした異常な現象を呈してまで、その全体性を回復しようとする傾向をもつのだ、と河合はいう。(略)影という現象もまた、「1」/「2」の相補的な関係の表出である。ユングによれば、ある個人の自我が否定し、受け容れがたいとする傾向のすべてが、その人の影であり、すべての人はそれ自身の影を、その人の黒い反面としてもつ、という。そして、影には個人的な影/普遍的な影があって、この普遍的な影はだれしもが受け容れがたい悪と同義とみなされ、昔話では悪魔などの姿をもって表象される。しかも、影は必ずしも悪とはかぎらず、「厄介なものではあるが、それなくしては人間味の乏しいものになってしまう」、そう、河合は述べている。