元祖【ひとり公論】

誰かには必ず、ほんの少しだけでも役に立つに違いない、という意味での公論

宗教にすがらないこと

よく、僕が仏教系の本を読んでいると、(半ば冗談で)「救われたいの?」ときかれることがあります。

そういうイメージなのですね。仏教というのは。

でも、違うのですね。今すごく辛い状況にあって、そこから抜け出す(つまり、救われる)ために「すがる」仏教ではないのです。
現状はほぼ、満足ではあるがもっともっと精神的高みにゆきたいということ。

仏教という「思想」にカンゼン依存する(したい)のが「救われたい」ヒトたちなのでしょうが、僕の場合は、コトバは悪いですがその思想を「戦略的活用」したいといいますか。。
(ホントウはそんなことは思っていませんが、わかりやすくいうと)

つまり僕の仏教への接し方はポジティブなのです。

なんて、エラそうなことを書いてしまいましたが、僕の仏教思想へのコミットはまだまだはじまったばかりの青二才中の青二才です。
「かじった」とまでもいかない。つまりは「ミーハー」ですね。


仏教はじめ、各宗教に「すがる」姿勢だと、多くの先達たち(反面教師となるべき)と同様に泥沼にハマってゆきます。

そうはならないようにしたいものです。自分の生活をある程度の高みかで確立するのは自分が自分の意志で、何にもすがることなくやるべきことです。