元祖【ひとり公論】

誰かには必ず、ほんの少しだけでも役に立つに違いない、という意味での公論

深く交わらない

今後、騙されないためにはどうしたらよいか? は、考えておかなければならないと思います。
いわゆる「振込め詐欺」のような、低レベルな詐欺に対する対策はもちろんのこと。。
たとえば新興宗教の勧誘への対策とか、そういうのも含みます。

「騙される」とは、ほとんどのケースではカネ関係になります。
そして、騙される対象というのは家族も含みます。すなわち、自分だけでなく、一家全体として、周囲から「騙されない」環境をつくっていかなければなりません。


僕がまず考える(思い浮かぶ)のは、「他人と深く交わらない」ということです。カンタンにココロを許さないこと。

他人と、やたらめったら深く交わる必要はないのです。


もうひとつは、悪い気を持つ人間が近づかないようなオーラを発するというか。。

スキを見せないということですね。


ところで、「他人とは深く交わらない」という大前提の上で、他人にココロを許すと決めたのであれば、それはもう騙されてもよいのです。
ココロを許すとはそういうことです。たとえば「たかが」金銭的な被害をこうむるだけであれば、問題はありません。

カネだけで済めばそれで万々歳である、ということです。


このヒトならば騙されてもよいと思う人間を見つけられるのは幸せかもしれませんね。騙されはしないまでも、その人間に金銭的に「貢い」でもよいと思える。。(同姓でも、異性でも)


でも、ふつう。。ぱっと現れてほとんど付き合いのない他人にココロを許しますかね? ただ、やさしいからとかそういう理由で。。
「運命だから」とか何とか。。

僕は、逆にいえば、家族、近しいヒト、親類等々だけにココロを許していれば、それでいいじゃないか、という考え方です。

コミュニティにいきなり割り込んでくる他人にうかつにココロを許してよいのか? 順番が違うのではないか? ということ。


僕自身は、もっともココロを許せるのはおそらく中学、高校の頃の友人のような気がします。もっとも多感な時期を共に過ごした仲間。。

なぜ「気がします」かといえば最近めっきり会ってないので。。

自分がもっとも多感な時期を過ごした「仲間」というのは、ある意味においては家内よりもココロを許せるものです。