元祖【ひとり公論】

誰かには必ず、ほんの少しだけでも役に立つに違いない、という意味での公論

20070828「代替可能な自分」
「なぜ、他人に迷惑をかけてはいけないのか」「なぜ、家族を大事にしなくてはならないのか」「なぜ、ヒトを殺してはいけないのか」などという疑問を言い始める人間は、最初から「キケン分子」のレッテルを貼るべきです。

つまり、もうハナっから世の中から隔離してよい。なぜなら、ヒトを殺すことに罪悪感を感じない可能性が高いからです。

どれもこれも、すべて「自分が一番大事」。。 なぜそこまで自分を可愛がるようになってしまったのか。。

自分が、暴力的で、存在自体が世の中に迷惑がかかる人間であろうとも、それでもよい。なぜならば、いざとなったらさくっと現実から離れて「自分探し」の旅に出ればいいと思っているからです。「自分探し」とは、今よりもさらに自分に甘い自分を「どこか」かれ連れてきて今の自分とすげ替えること。

つまり、自分という「欠陥品」を修理して、使い勝手のよいものにしよう、という考えが完全に欠如しているのですね。それは「自分と向き合わない」ということ。

不思議なのは、外見はどんどん積極的に修正してゆこうとするのです。そういう人間に限って。服装しかり、化粧しかり、整形しかり。。

でも頑なに「ココロ」を直そうとしない。哀れなことに、直す術を知らないのです。コワれたらすげ替えればよいと教わってきたから。

「ココロのDIY」がなってない。。(【重要】マーク)

「ココロ」を直す術を知らないというヒトは、ホントに哀れです。コワれたときに、都合よく代替品があるわけではないのですから。

それでも、世の中はココロの直し方を教えない。外見の修正方法だけは、マスコミは教える。カネになるから。