出来事をコントロールする
本来の日記部分
深夜2時頃大きな地震あり。
my格言・my座右の銘(自作自演)
- 反面教師:「カタにはまりたくない」と訴えるくせに何のオリジナリティも出せないヒトたち(20070525)
人生観、のような、思想の話
- 出来事をコントロールする
世の中すべて良いほう(あるいは、悪いほう)にまわっている、と考えるよりも、いろいろな出来事が起こるなかで、それらをすべて「良いほう」へ集約させないといけない。そういう考え方にシフトしなければなりません。
これは一種の「思い込み」ですね。なんとなく悪そうな出来事でも、結局は自分のためになると考える、といったような。。こういう考え方はもはや「古典」です。
ずっとずっとこの「思い込み」の大事さは強調されてきたのに、今の時代でもまだ強調されているということは、「思い込み」すらできないヒトが多いのでしょう。
これが結局は「大事」なのですね。「思い込み」を続けている初期段階では、他人からはまるでピエロのように見えるのでしょう。その段階、いろいろなしがらみやらやっかみやらを受ける時期を無事通過できるかどうか。
やっぱり世の中、といいますか、自身の周りで起こるできごとはできうる限り自分でコントロールする、ぐらいの気概をもたなければならない、と思います。
再録
民度を量る尺度としては「欲求をコントロールできるか否か」というのが挙げられます。
あれもほしいこれもほしい、あそこにいきたい、あれをしたいこれをしたい、という欲求に、一生さいなまれたいですか?
それは、果たして、楽しいのだろうか。
私の実体験にもとづくものなので、間違いないですが、マスコミからの情報をシャットアウトすれば、欲求をコントロールできます。
あれもしたいこれもしたいという「何を」は、マスコミに振り回されるもので、流行が収束すればとあるひとつの欲求も収束します。
つまり、流行として旬のうちに行かなければならないのです。
ということは、とある時期に何か(流行っていること)をしたいと強く思っていたとしてもそれは流行というものにコントロールされているにすぎません。
流行が過ぎたら行きたいという欲求も終わり、なようでは。。
そうやって、一生マスコミに振り回されるつもりなのか? と問いたいのです。
果たして、振り回され続けているうちに、自分の内面からわきあがる、流行に左右されない、真の自分の欲求に気付くことができるのか。
これは、ムカシは「できる」と思っていました。「(振り回されて失敗する)経験を積めば、いつかは見つけられる」と。
でもそれは完全に間違いでした。
ヒトは、流行に振り回されたいだけなのです。その経験の中から、マジメに、真の自分の欲求を見つけようなどとはこれっぽっちも考えていないのでした。
ただただ、流れに身をまかせるだけ。それでは、思考に深みは生まれません。
今、世の中はこういうヒトだらけですからね。
こういう世の中にうんざりして、この反動で、厭世的にならず、良い方向に舵を切れるヒトが、すごいと思いますし、自分もそうありたいと今努力しているところなのです。
この話は「自分探し」にリンクしそうだ。。
「自分探し」しているはずなのに自分の思考に深みを与えようとしない。思考が深くなると(ちょっと考えれば)自分がどれほど浅はかで器の小さい人間であるかわかってしまうからです。
そこから常に逃げている。つまり、一生、偽「自分探し」を続けるのです。自分にとって都合の良い結果(白馬に乗った王子様がやってくる、的な)を夢想しながら。。
その前に自分を磨くことが先なのに。。