元祖【ひとり公論】

誰かには必ず、ほんの少しだけでも役に立つに違いない、という意味での公論

黙して語らず

my格言・my座右の銘(自作自演)

  • なぜ、頑なに労を惜しむ?「労を惜しまない」人生のほうがカッコいいんじゃないか?(20070627)

こうありたいまたは反面教師

  • 黙して語らず

黙っていることがなぜ正しいか、ということを、オトナになってから、他人に説明できるような気がしてきています。でもそれは、気がしているだけでなかなか難しいことです。でも、やらねばならない。

とある事柄について「黙して語らず」のほうが正しいことがある。いえ、正しいことのほうが、多いのですよね。
これは、先日書いた「口をふさいでいてはいけない」とカンゼンに矛盾するような気がしないでもないですが、今は漠然と、ムジュンはしないと考えています。

まず、毎日毎日グチってばかりの人生よりは、同じぐらい不満のタネが存在しても「黙して語らず」の人生のほうが、なんかいい感じがします。グチは、他人に撒き散らすものですからまず迷惑がかかります。

と、いうことは、黙っているよりも、実は、いつも朗らかに、明るいコトバを周囲に「撒き散らして」いるほうがいいのかもしれません。

ですが、最近の世知辛い世の中では、明るいコトバだけを周囲に撒き散らしているつもりが、そこには毒が含まれていることが多い。
ほとんどのヒトは無意識です。

ですから、いっそのこと「黙して。。」のほうがよいのではないか、と。


「口をふさいでいてはいけない」のは、理不尽で暴力的な仕打ちを受けたときのハナシです。そういうときに黙っているのは逆におかしい、というよりも「こっけい」です。

「やられたら」やる、の徹底が必要なのですね。
何も「やられなければ」、ただ黙していればいい。


。。関係なさそうですがちょっと続きで。。
ヒトはヒト、他人は他人、というのは、僕がコドモの頃からいわれてきたことです。そして、田舎の濃密な地域関係の中でこのコトバほど建て前で、形骸化されてきたものはない。

ヒトはヒト、というのは、他人への興味を消滅させてはじめて実現できる考え方であって、「隣の芝生は青い」現代の庶民に実現できるはずもありません。

ところで「ヒトはヒト」というのは「羨むな」「嫉妬するな」ということです。
他人との関係性の中でこのふたつの感情だけを持つな、ということ。これをわかっているヒトはホントに少ないと思います。
ヒトはヒトだから、という言い訳で他人と付き合わなくともよい、などとはひと言もいっていないのです。ヒトはヒト、というのは「尊重せよ」ということ。

具体的にいうと、ガンガンほめるのはよいことです。