弱音を吐かないでため込んで何が悪いか
僕は基本的に他人に弱音を吐かない人生を送ってきましたので、結果的にそれが人生において吉と出たかな、という気はしています。
つまり、めったにネガティブなコトバを外部に対して吐くことがなかった。それを、内側にためておくことができた。少しずつ、そのキャパがひ ろがっていった、といいましょうか。。
内側にためておいているうちに、人生ってのは結構好転してゆくものなのだなあ、というのを、何度も実感したものです。
ネガティブなコトバを「グチ」として吐く、そしてそれを聞いてもらう。
本人はすっきりするかもしれませんが、まず、それにより状況は何も変わらない。そして、ネガティブなコトバを吐かれた相手は、ちょっとだけ 不幸になるのです。そういうコトバを浴びせかけられただけで。
グチをまきちらしても、グチをいわずに内側にためておいても、結局状況が変わらないことは変わらないのではないか? と。。
確かに、そうなのです、が。。
まず、自分の中にためておくことができれば、少なくとも他人をちょっと不幸にすることはない、ということ。
でも問題なのは、自分の中にためておくキャパがないのにためてしまって、結果的に沈黙のまま周囲にあたりちらす、ということがあります。そ れは、よくありません。
だから、一概に黙るのがよいというわけでもない。
自分の内側にためておいておくことの効用というのは、それが、「推進力」になるということです。吐き出したら一旦すっきりして、終わってし まう。そこからの成長がないというか。。
自分は、いつの日からか、「言うまえにやってみろよ」という考えがしみついてしまっていました。
だから、グチりたいことをため込むことでそれを推進力にすることができたように思います。
そのへん、僕は、母親の影響を多大に受けているのですが、ただし母親をみていて非常に残念に思うのは、ためこんでためこんで、どんどんダウ ナーになってゆくようなヒトでした。
僕たちコドモは、そのおかげで若干、苦労しました。
でも彼女(母親)も、やっと還暦をすぎたあたりから、何かを悟ったのか、劇的に転換しましたが。。
母親には悪いのですが、僕は母親の性格を反面教師にできたように思います。
ためこんだものは、人間ですから、どこかにはガス抜きしなければならない。
それを、コトバのとおりすかっと抜いてしまって何も残らないようにするのではなくて、ためこんだものを推進力に転換する「術」を、今考えれ ばずっと思い悩んできたような気がするのです、僕の人生は。